2007年04月28日
5.見かけ
「不正咬合を放置しておくと,歯が長もちしませんよ」とか,「そしゃくや発音などが正常に機能しませんよ」と言われて矯正治療を受けようと思う人は,実は少ない.不正咬合は,突然そうなるのではなく,時間をかけてゆっくりでき上がるため,そしゃくや発音にかかわる障害なども周囲の組織器官によってそれなりに補償され,不具合を不具合と感じることがないからだ.つまり,実感がないのである.
患者さんを矯正治療に駆り立てるのは,多くは「容貌」すなわち「見かけ」の問題だ.阪神大震災において,入れ歯を忘れて飛び出し,壊れた家に戻った人の多くは,前歯の入れ歯を忘れた人であったという話しを耳にした.奥歯の入れ歯がなくとも食べることは何とかできても,前歯がないという格好悪さには耐えられなかったということらしい.現代の日本人は極限状況においても,「見かけ」を大切にしているのである.その良し悪しを問題にしているのではない.病いに対する人々の思いや受けとめ方は,時代,文化,民族,性,世代などによって異なり,かつ,医療サイドがいくらあがいても,簡単に操作できるものではないからだ.
「眼はその人の心の状態を語り,歯はその人の生活の状態を語る.人はまったく見かけによる」とは,作家・柳美里の言葉であるが,そういう時代に私たちは生きているようだ.そして,このことを裏付けるように,東北大学文学部・仁平義明教授は,次のような報告をしている.大学生に「日本社会で,容貌など身体的外見によって,社会的に有利になったり不利になったりすることがあると思いますか」という質問をしたところ,「大いに」や「ある程度」という肯定的な回答が男性では約93%,女性では約97%に達していたそうだ.昔は,男性は「見かけ」を気にしないことが美徳とされていたが,現代社会では男女を問わず「見かけ」を気にするし,それで差別を受けたくないと感じているようだ.しかし,そのような社会的風潮が,最近問題になっている「醜形恐怖症」(容貌に極端に自信を失い,それを気にするあまり社会生活にも支障をきたしてしまう精神障害)を生み出していることには注意が必要だ.
新時代の矯正歯科には,このような背景を十分に理解した上で,患者さんの気にする「見かけ」の問題を解決し,同時に「歯の長期維持」のためのゴールを達成することが求められている.幸いなことに,矯正歯科では「見かけ」を良くして,歯の長期維持や口の機能向上を図ることは,見事に両立する.
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2007年04月27日
6.子供の治療(前)
「子供の矯正治療」の開始時期や方法をめぐって,一部論争が続いており,必ずしも共通認識が得られているわけではないが,ここでは,基本的な考え方について述べる.
「子供の矯正治療」に関する第1のキーワードは「顔の成長」である.人の顔は,皮膚や筋肉などの軟らかい組織と,骨や歯などの硬い組織によって構成されている.矯正歯科においては,顔面骨格を構成する上で主役を演じている顎骨(がっこつ)がとくに重要だ.顎骨には,頭蓋骨にしっかりと結合している上顎骨(上アゴ),そして,筋肉などによってつり上げられていて様々な機能運動をつかさどる下顎骨(下アゴ)がある.これらは,身長などの全身成長と同様に,思春期に著しい成長をとげて大人の顔に近づく.しかし,問題は上顎骨と下顎骨の成長の仕方が異なることと,これらの成長に著しい個体差があることだ.一般的に,上顎骨は思春期のピーク(身長が最も伸びる頃,女子で11〜12歳,男子で13〜14歳)を過ぎると成長がほぼ止まるのに対して,下顎骨はその後も成長を続け,女子で16〜17歳,男子で18〜19歳でほぼ終了する.しかし,患者さんの中には早熟傾向(成長のピークが早い)や逆に晩熟傾向(成長のピークが遅い)を示す子もいるし,顎骨が異常な成長を示す子もいるなど個体差が著しい.不正咬合が顎骨のバランスに左右されることはすでに述べたが,「子供の矯正治療」の難しい点は,このように個体差の著しい「顔の成長」を分析し,予測しながら治療を進めなければいけないところにある.一旦良くなったと思った不正咬合が,その後の顎骨の成長で再発することが珍しくないからだ.
第2のキーワードは「長期管理」である.矯正治療の結果は,厳密には「顔の成長」が止まるまで分からないというのは,矯正歯科の常識だ.そもそも顎骨のバランスに問題のある患者さんはもとより,そうでない場合でも,成長に伴って不測の事態が発生することが少なくないからだ.例えば,第二大臼歯が思わぬ方向に出てきたり,智歯(第三大臼歯)がせっかく整った歯列をくずし,口やアゴの機能にまで悪影響を及ぼすこともあるからだ.そのようなことを考慮し,私たちは,すべての患者さんと20歳までお付き合いをし,20歳の時点で,健全なかみ合わせを生涯を通して維持できる環境が備わるように対応したいと考えている.患者さんおよび親御さんとの信頼関係に基づいた長いお付き合いのことを「長期管理」と呼んでいる.
投稿者 菅原準二 : 15:18 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月26日
7.子供の治療(後)
第3のキーワードは「治療時期の分割」でである.特に,下顎前突のように骨格に問題があるような場合には,思春期前に行う「第1期治療」と思春期後の「第2期治療」に分割して行うことが重要だ.これは,①著しい個体差があり,かつ予測が難しい「顔の成長」に確実に対応する,②患者さんの最小の負担(時間的,経済的,身体的)で,最大の効果を得る,③患者さんのライフステージを考慮して,長期維持が可能な健全なかみ合わせを育てる,という考え方に基づいている.
「第1期治療」の開始時期は,一般的には上下前歯の永久歯が四本ずつ出そろう頃(7〜9歳ごろ)が適切だ.その目的は,不正咬合の進行を抑え,その成長段階での健常像にできるだけ近づけておくことである.治療期間は1年前後を目安にするが,遅くとも中学生になる前に終了することが望ましい.「第1期治療」の注意点は,患者さん自らの意志によって始める治療ではなく,ほとんどが親の動機づけでなされることだ.したがって,「長期管理」によって最終目標を達成するためには,治療に飽きたり,嫌気がさすことがないように注意が必要だ.
「第1期治療」後は,再発を防ぐ処置を施しながら,数カ月の通院間隔で口の衛生状態や成長の様子を見るための「観察」を続ける.そうすることによって良いかみ合わせが長く維持されることが理想的である.私自身は,中学生の時期はできるだけ矯正治療を避け,「観察」にあてたいと考えている.一般的に,中学生は「ムカつく」「キレる」という言葉に象徴されるように,思春期に入って自我に目覚め,かつ高校受験という重圧のもとに置かれる大変な年代である.当然,治療への協力度も低下する.加えて,食べ盛りであるため,頻繁な摂食によって口の衛生状態が悪化するなど,矯正治療を行うにはリスクが高すぎるからだ.しかし,不正咬合のタイプによってはこの時期の旺盛なアゴの成長をうまく利用したい場合もあるので,実際には専門医によるケースバイケースの最終判断が必要だ.
一方,「観察」の間に不正咬合が再発したり,新たな問題が派生する場合もある.「第2期治療」は,そのような患者さんに対する仕上げの治療に相当する.開始時期は「顔の成長」の見きわめがつき,自分で治療の意義や必要性を十分に理解できるようになる高校生以降が望ましいが,不正咬合のタイプや成長などの個体差によって多少変動する.「第1期治療」と同様に1〜2年の治療期間が必要となる.この「第2期治療」が終われば,機能的なかみ合わせや整った口元などの条件を兼ね備えた20歳のゴールは目の前だ.
投稿者 菅原準二 : 15:19 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月25日
8.成人矯正
前回は,不正咬合を子供のうちに治療することが理想的であると述べた.しかし,親の健康意識や経済的および時間的な問題などによって,適切なタイミングで治療を受けることができない方も沢山いる.あるいは,大人になってから不正咬合が気になり始めるという方も少なくない.そのような患者さんのために,次善の策として「大人の矯正治療」すなわち「成人矯正」が行われている.
かつて,矯正治療は子供の頃にしかできないものとあきらめられていたが,診断や技術が飛躍的に進歩した現在では,歯やそれを支える組織(歯周組織)が丈夫であれば例え高齢者であっても治療が可能になった.
「成人矯正」を「子供の矯正治療」と比較してみると,利点としては,①「顔の成長」が終了している分,治療後の予測が立てやすいこと,②患者さん自身が治療の動機を持っていることが挙げられる.一方,欠点は,①歯周病や顎関節症(がくかんせつしょう)など他の疾患を伴っていることが多い,②治療が大がかりになる,③歯が動きにくい,④矯正装置の外見に対するこだわりが強いことなどである.このように「成人矯正」には利点よりも欠点が多く,治療上さまざまな配慮が必要であるが,その目的は,口元のバランスを整えて健全なかみ合わせを獲得し,患者さんにできるだけ質の高い生活をおくっていただくことであり,「子供の矯正治療」のそれと変わらない.確かに,理想的な矯正治療の時期を逸してはいるものの,それでも患者さんが受けるメリットは大きい.
虫歯や歯周病が進行して歯を失い始め,さらにかみ合わせやアゴの機能にも著しい変調をきたして入れ歯を作ることもできず,ものが満足にかめなくなった状態を「咬合崩壊」と呼ぶ.一般の歯科医院では治療が不可能で,歯学部附属病院・矯正歯科に紹介されてくる「咬合崩壊」の患者さんが増えている.30〜50歳代の方がほとんどだが,これまではどこで治療してもらえるのか分からず,適切な対応を受けていなかった患者さんたちである.診察して驚くことは,このような「咬合崩壊」の背景に,子供の頃からの不正咬合が関与している場合が実に多いことだ.不正咬合の終末像とも言えそうだ.「8020」達成者の中に不正咬合がほとんど含まれていなかったことにも通じるものがある.
しかし,不幸にしてひどい「咬合崩壊」をきたした患者さんに対しては,歯学部附属病院では,複数の診療科の専門医やスタッフによる「チーム医療」という診療体制で臨んでいるのであまり心配には及ばない.
投稿者 菅原準二 : 16:54 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月24日
9.外科的矯正
不正咬合の中で,歯や歯列を支える顎骨(がっこつ)の形やバランスに問題があり,しかもその程度が特にひどい場合を「顎変形症(がくへんけいしょう)」と呼ぶ.その代表例には,下顎が著しく大きな下顎前突や,下顎が著しく小さな上顎前突がある.いずれも通常の矯正治療だけで改善することは極めて難しい.その様な患者さんの顎骨のゆがみや大きさを外科手術によって修正し,同時に矯正治療によって歯並びとかみ合わせを整える治療法のことを「外科的矯正」と言う.例外を除き,顔の成長が終了した成人に対して行われる.成長による再発を避けるためだ.また,顎骨の中や周囲には重要な神経や血管が走っていることと,顔に傷を残さないために口の中ですべての操作が行われることから,手術は特別のトレーニングを積んだ口腔(こうくう)外科医が担当する.そして,全体の診療は口腔外科医と矯正歯科医(専門医)との「チーム医療」で進められる.
顎骨の手術と言われても,今一つぴんと来ないかも知れないが,「外科的矯正」は以下のような手順で進められる.①検査結果に基づいて治療のゴール(設計図)を作成する.②ゴールにしたがって上下の歯並び(歯列のかたち)を矯正する.③特殊な手術器具によって顎骨を切り離す.④切り離した骨をゴールの位置まで移動して金属プレートなどで固定する.⑤安静にして骨が自然につながるのを待つ.⑥リハビリテーションを行って,そしゃく筋や舌などを新しいかみ合わせに順応させる.⑦かみ合わせの細部調整を行い,口の機能に問題がないことを確認して矯正装置を外す.⑧再発を防止する処置を施し,かみ合わせの管理を定期的に続ける.
手術時間は「顎変形症」のタイプによっても異なるが,下顎だけであれば1〜2時間,上・下顎骨の同時手術でも3〜4時間で終了する.全身麻酔で行われるため,手術に伴う痛みを感じることはない.また,低血圧麻酔を用いているため出血量も少なく,輸血が必要になることは極めてまれである.約3週間の入院を必要とするが,患者さんにとっての最大の忍耐は,手術後の約2ヶ月間は普通の食事がとれないことだ.
「顎変形症」の場合,容貌の問題はともかく,そしゃくや発音などに著しい機能障害を伴うことと,歯を失ったときに入れ歯などでの修復が非常に難しいことから,「咬合崩壊」に陥ってしまうリスクが特に高い.そのため,平成2年から「顎変形症」の「外科的矯正」に健康保険の給付が認められるようになった.
「外科的矯正」は,現代の矯正歯科では欠かすことのできない治療法になっている.
