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2009年12月16日

第21報 第8回アジア・インプラント矯正カンファレンス(AIOC)の開催 (2009年9月9~10日)

 インプラント矯正という用語は、10年ほど前に私が定義したものであるが、各種インプラントを絶対的な固定源として利用する矯正治療法を意味する。
 最近では、TAD (Temporary anchorage device)という用語も使われているが、内容的には大同小異でほぼ同じ意味と考えて良い。現在主流を占めているのはスクリュータイプ(ミニスクリュー、ミニインプラント、マイクロインプラント)とプレートタイプ(ミニプレート)であるが、いずれも21世紀になってから日本や韓国など東アジアを起点として世界に拡がった画期的な治療法だ。その推進役を担ってきたのがAIOCだが、このカンファレンスは、2000年にシカゴで開催された第100回アメリカ矯正歯科学会記念大会(AAO)で講演に招かれた私とProf. Young Chel Park(韓国)が発起人になり、Dr. Eric Liou(台湾)を加えて、日本、韓国、台湾の持ち回りで毎年開催することにしたのが始まりだ。AIOCは今年で第8回目を迎えたが、昨年ソウルで第7回AIOC と第1回WIOC(世界インプラント矯正カンファレンス)が併催されたが、来年からはAIOCを発展的に解消し、WIOCに完全移行することになっている。

 さて、第8回AIOCであるが、私が大会長になって、仙台で開催することになった。長坂浩先生に事務局長を引き受けてもらい、東北大学OBの佐伯修一先生、御代田浩伸先生、鈴木裕樹先生に事務局入りしていただき、少数精鋭で本年1月から本格的に準備活動に入った。限られた予算で、海外からの講演者の招待をどうするかなど、難問が多々あったが、多くの方々の支援を受けて何とか開催に漕ぎ着けることができた。

IMGP6689-%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.jpg まず、大会前夜に講演者やモデレーターを対象にしたレセプションを、仙台銀座の「Beer TARU」を貸し切りで行った。30人定員の店に50人以上もの外国人が集まり、外の路地まではみ出し、英語でワイワイガヤガヤと雑談が始まったものだから、普段あまりにぎわうことのない仙台銀座がにわかに国際村のようになって、通行人もびっくり。

CIMG6414-%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.jpg  明けてカンファレンス初日の9日は内外合わせて13題の講演があり、活発な討論がなされた。言語はすべて英語で一切通訳なしで行ったものの、不慣れなはずの日本人も堂々として講演しており、とても誇らしく感じた。夜は、仙台国際ホテルでGala dinnerを催した。外国人に日本の料理を存分に楽しんでいただこうと、ホテルの中村善二シェフには特別の計らいをしていただいた。また、アトラクションとして津軽三味線、雀踊り、仙台フラメンコ(顎顔面外科の小枝聡子先生のご好意による)などを用意した。いずれも楽しんでもらえたが、とくに参加型の雀踊りが大好評だった。

 二日目の10日は、12題の講演があり、前日と同様に充実した内容であった。この二日間の講演内容は総じて先端的で、AIOCを始めた頃と比べるとすでに隔世の感がある。写真3は講演者およびモデレーターの集合写真であるが、最新の情報を提供してくれたすべての講演者と、実りある討論を導き出してくれたすべてのモデレーターに感謝。IMGP6714-%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.jpg

 そして、仙台におけるAIOC最後のイベントは、温泉ツアー。仙台近郊には秋保や作並といった有名な温泉地があるが、今回は夕方から秋保温泉・ホテル佐勘への日帰りツアーを企画した。仙台牛のしゃぶしゃぶを堪能した後に、ゆっくりとお湯につかってリラックスしてもらおうという目論見だ。%E6%B8%A9%E6%B3%891.jpg 日本人や韓国人はともかく、欧米人に温泉はどうかとも思ったが、とてもエンジョイしてくれたので、安心した。この写真はその時のものであるが、まさに裸のつきあいをしたことになり、忘れ得ぬ思い出になった。



投稿者 菅原準二 : 09:02 | コメント (0) | トラックバック

2009年12月09日

第20報 ソウルでのSurgery Firstセミナー(2009年7月19日)

 顎変形症に対する外科的矯正は、主に顎骨の外科手術を担う口腔外科医と歯列矯正を担当する矯正歯科医とのチーム医療で行われてきた。その治療の進め方は、術前矯正を施して上・下顎歯列の形態を整えた後に、顎矯正手術を施し、さらに術後矯正で仕上げを行うのが一般的だ。このように矯正治療を先行させる進め方をOrthodontics First(OF)と呼ぶとすれば、OFにはほぼ半世紀の歴史があり、確実な成績を収めることができる方法として世界的に定着している。しかし、一方では、①顎変形改善の時期が遅れる、②最初に手術の時期が決められない、③術前矯正によって前歯の関係と口元の形が悪化する、④治療期間が長い(2年〜3年)などの問題点が指摘されてきたものの、それを改める術がなく、患者に我慢を強いるしかなかった。

 これらOFの問題点を克服する革新的な治療法がSurgery First (SF)だ。SFは、文字通り最初に顎矯正手術を行い、後で矯正治療を施すという、これまでとは逆の手順で進められる。治療期間が短い(約1年)、最初に顎変形が改善される、手術時期が自由に選べるなど、前述したOFの欠点を解消し、患者利益が著しく増大した方法だ。私が知る限り、公的な国際会議の場でSFという治療法を発表したのは仙台チーム(東北大学病院顎顔面外科+SAS矯正歯科センター)が最初で、国際学会誌に報告したのも仙台チームが最初だ。世界に目を向ければ、他にはほぼ同時期に開始したとされる韓国のソウルチームによるSurgery First Orthognathic Approach(SFOA: http://www.asfoa.org/ )がある。しかし、最初に顎矯正手術を行うという点では同じであるものの、その内容は似て非なるものである。

 仙台チームとソウルチームの最も大きな違いは、治療ゴールの設定に対する考え方だ。仙台チームでは、顎骨の問題点は外科手術で、歯列の問題は矯正治療で改善するという立場を取っているが、ソウルチームでは、顎骨の問題だけでなく、歯列の問題もできるだけ外科手術でカバーするという考え方に基づいている。すなわち、仙台チームでは口腔外科医と矯正歯科医がイコールパートナーとして連携しているのに対して、ソウルチームでは、形成外科医(口腔外科医ではない)が主導して、矯正歯科医がフォローするという連携の仕方だ。  今回の一日セミナーは、そのソウルチームのやり方に常々疑問を抱いていた韓国の矯正歯科医や口腔外科医が、仙台チームのSFを知りたいとのことでソウル大学の協力を得て企画された。

%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%91%20%E4%BC%9A%E5%A0%B4%E9%A2%A8%E6%99%AF.JPG  会場はソウル大学歯学部の大講堂であったが、講演は私と長坂浩先生(東北大学顎顔面外科)とがそれぞれの専門領域に分担して行った。午前9時から午後5時までの長丁場であったが、途中で立見が出るほどの盛況ぶりで、SFに対する関心の高さをうかがい知ることができた。講演では、診断や治療ゴールの設定法などSFの根幹をなす内容から始まり、多数の治験例の提示まで、詳しく解説したことから、参加者は仙台チームの臨床理念や治療技術を理解し、ソウルチームのSFとの違いを十分に認識してくれたようだ。

%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%92%20%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%92%E7%B5%82%E3%81%88%E3%81%A6.JPG 左の写真はセミナー後の集合写真であるが、梨花女子大学のMyung-Rae Kim学長、ソウル大学のTae-Woo Kim教授、チョンナム大学のHyeon-Shik Hwang教授など、韓国の矯正歯科界や口腔外科界の重鎮の顔も見える。

%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%93%20%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E4%BC%9A.JPG また、こちらの写真は、川村仁教授(東北大学)と私とが共著で出版した「現代外科的矯正治療の理論と実際」(東京臨床出版)の韓国語翻訳版が発売されたので、その記念サイン会風景だ。韓国美人を前に、緊張で手が震えた(笑)。

 

投稿者 菅原準二 : 11:34 | コメント (0) | トラックバック

2009年12月04日

第19報 外科的矯正セミナー(2009年6月6~7日)

 シンセス株式会社主催の「Orthognathic Surgery Seminar in Tohoku 2009」が、Prof. W.H. Bell (USA) とProf. J.E. Van Sickels (USA) をゲストスピーカーに迎え、日本顎変形症学会の翌日から二日間にわたって開催された。日本側の講師は高木多加志先生(東京歯科大学)、山口芳功先生(草津総合病院)、川村仁先生(東北大学)、長坂浩先生(東北大学)と私であった。

 本セミナーは、主に若手口腔外科医を対象にしていたが、外科的矯正治療の歴史に始まり、最新の治療法に至るまで、講義はコンパクトにまとまっており、かつマネキンを用いた手術法のハンズオン実習も組み込まれていたことから、受講者には好評で、昨年に引き続き開催されたものである。

%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%91%20Prof.%20Bell%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3.jpg  今回のセミナーの目玉は、何と言っても御年82歳になられたProf. Bellの話を直に聞けることであった。Prof. Bellは、東北大学の川村教授の師匠で、我々が外科的矯正に関わり始めた頃は、それこそ神のような存在であった。当時、Prof. Bellが書いた顎矯正手術の教科書は、それこそバイブルのように世界中で読まれていたのである。その彼と、一緒の場で講演をすることなど夢にも思わなかったことであるが、とても感慨深いものがあった。

%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%92%20Prof.%20Bell%20%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%83%84%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88.jpg  さらに、私の講演を聴いてくれた彼から、お褒めのコメントを頂戴したが、これも実に光栄なことであった。82歳になって、一人でアメリカから仙台まで講演に訪れるという気力と体力には脱帽である。果たして、自分が80歳を越えてかようなことができるかどうか、全く自信がない。また、ここに私のロールモデルを見いだした貴重な二日間であった。

投稿者 菅原準二 : 13:49 | コメント (0) | トラックバック

第18報 第19回日本顎変形症学会シンポジウムでの講演(2009年6月4日)

 矯正治療における難しい問題の一つとして、例えば小学生の時点で下顎が極端に大きかったり、逆に小さ過ぎたり、あるいは明らかな非対称(側方偏位)を伴っている患者さんにどのように対応したら良いのかということがある。すなわち、顎骨の大きさや位置に著しい不調和があり、外科手術(顎矯正手術)の適応になる成人患者さんのことを顎変形症(保険用語)と総称しているが、その子ども版の問題です。実は、その対応法は医療施設によってまちまちで、コンセンサスが得られておりません。%E5%86%99%E7%9C%9F%20%E4%BC%9A%E5%A0%B4%E9%A2%A8%E6%99%AF.jpg

 去る6月4〜5日に日本顎変形症学会(主管:東北大学顎顔面外科、大会長:川村仁先生)が仙台国際センターで開催されましたが、その問題に関するシンポジウム「成長期の重度骨格性不正咬合への対応」が行われた。話題提供者は、鹿児島チーム(黒江和斗先生、吉田雅司先生)、東北大学チーム(私、川村仁先生)、東京医科歯科大学チーム(鈴木聖一先生、黒原一人先生)、昭和大学チーム(槇宏太郎先生、代田達夫先生)で、それぞれの考え方と実際の対応法が紹介された。

 その結果、対応法は概ね二つに分かれた。すなわち、一方は、子どもの社会心理面や口腔機能に配慮して、顎の不調和が悪化することを少しでも抑制あるいは改善しようという目的で、顎成長をコントロールする治療(顎整形治療)や歯の移動を積極的に行うという考え方。もう一方は、顎整形治療の効果の限界を認識し、治療の確実性を優先して、顎成長が終息するまで成長観察を行った後に治療を開始するという考え方である。
 私たちのチームは、例外を除いて、後者の立場をとっているが、その主な理由は以下のとおりである。

1) 現時点で、極めて重度の骨格性不正咬合に対する最も信頼できる治療選択肢は、顎成長終了後に適用する外科的矯正である。
2) 成長期においては、大きな下顎骨の顎成長を確実にコントロールする有効な手立てがなく、敢えて治療を行った場合、期待した効果が得られずに、治療が長期化し、かつ中途半端な結果に陥る危険性が高い。
3) 第一期治療(小学生の頃の初期治療)が患者自身の意思決定に基づいて行われるものでないことから、術者が良かれと思って施術した結果が、必ずしも患者満足に結びつかないこともあり得る。
4) 高校生以降まで問題点の改善を遅らせたとしても、口腔成育支援を継続的に行うことによって、社会心理学的問題が発生する可能性は低い。
5) 高校生以降になれば、患者自身が自律的に治療ゴールや治療オプションを選択することができる。
6) 高校生以降の治療では、顎成長という主たる再発要因がなくなることから、予知的な治療が可能になり、咬合の長期安定性が得られる。

 最後の総合討論の部は、会場からの質問に答える形式で行われた。ところが、我々のチームに向けられた質問から判断すると、どうも「成長している間は、すべての不正咬合の矯正治療は行わない」と誤解された可能性が高いと思われた。それは、このシンポジウムのテーマが成長期の重度不正咬合を対象にしていたことから、それが前提になっていると思い、敢えてその主語を省いた形で話をしたからだろう。我々の場合、子どもの不正咬合で第1期治療の対象になるのは約90%で、積極的な治療を行わずに成長観察の対象になるのは残りの約10%であることを、ここで改めて述べておきたい。

投稿者 菅原準二 : 12:56 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月04日

第17報 第109回アメリカ矯正歯科学会(AAO)での講演

 メキシコ発の豚インフルエンザ(swine flu)で海外旅行すら危ぶまれる状況の中で、今年の第109回アメリカ矯正歯科学会(AAO)が5月1日から5日にわたってアメリカ東海岸のボストンで開催された。日本からの参加予定者の一部は豚インフルエンザの危険を避けるためにキャンセルされた方もおられたようで、日本人参加者はとりわけ少ないという印象を受けた。私は2日に日本を発ってワシントンDC経由で現地入りした。日本のメディアの豚インフルエンザ報道が連日トップニュースであったため、気分的には戦地にでも赴くような心境であったが、旅行客や現地の人々はどちらかと言えば無関心で、話題にも上らず、マスクをしていたのは日本人だけという異様な光景で、日本人だけがやけに浮いていた。加えて、アメリカからの帰国者全員に10日間の監視を義務づけるというニュースを聞くに及び、両国間のあまりのギャップに、アメリカ人が無頓着なのか、日本人が神経質過ぎるのか、思わず考え込んでしまった。

09AAO1.jpg  ともかく、大会は予定通り開催された。今年は、私の師匠の一人である Prof. Ravi NandaによるJV Mershon Memorial Lectureが行われたことが話題の一つであった。40年に及ぶ彼の研究生活を振り返り、これからの矯正歯科を考えるという内容であったが、巨大な会場で立ち見が出るほどの数の聴衆をぐいぐいと引き込んで行く講演は見事であった。



09AAO2.jpg その夜は、私が留学していたコネチカット大学の同門会に出席した。今年はProf. Ravi Nandaが授賞したということもあり、これまでの倍以上の130名もの同門生が出席し、大変な盛り上がりようであった。私が留学していた当時に院生であったDr. Rohit SachidevaやDr. Wayne Hickoryなど、懐かしい面々と再会の喜びを分かち合うことができた。と同時に彼らがそれぞれの立場で成功を収め、デジタル矯正歯科とも言うべき独創的なビジネスを展開していることに、大いに刺激を受けた。

09AAO6.jpg 4日の午後、私は「”Surgery First” Surgical Orthodontics」と題した45分間の講演を行った。インプラント矯正(TADs)をテーマにしたセッションの3番手に組み込まれていたが、トップバッターのDr. Mainoの講演時には昼食直後であったせいか出席者が少く、いささか気になっていたが、その後次第に増え,私の時にはほぼ会場全体が埋まっていたので一安心。講演する時には出席者数次第で話の乗りが違ってくるので、出席者数は気分的に重要な要素である。私は、顎変形症治療の将来モデルとしてのSurgery First がいかに多くの患者利益をもたらすかについて話をしたが、その意図は十分に理解していただいたようであった。

09AAO3.jpg 最終日の5日は、いくつかの講演を聴いた後に、大雨の中をBoston Fine Art Museumを訪れ、一流の美術品をしばし堪能した。ここを訪れたのは27年ぶりであったが、この間に世の中はすっかり変わってしまったにも関わらず,ここではすべてが当時のままのたたずまいを残していたことに深い安堵感を覚えた。本来であれば日本で保存されるべき浮世絵もこの美術館に所蔵されているが、貴重な文化遺産を完璧に保存し、後世に伝えて行こうという努力がなされている限り、母国で保存されるべきという考えに固執する必要はないのであろう。



09AAO4.jpg 5日の夜は、日本から来ていた友人達と連れ立ってUnion Oyster Houseというボストンでは老舗のシーフードレストランで食事をした。かつては度々訪れたことのあるお店であったが、古いたたずまいはおろか、メニューも以前といささかも変わらず、まるで20年以上前にタイムスリップしたかのような気持ちになった。今回も定番のロブスターをいただいた。これでも最も小さなサイズであったが、添え物も多く、食べ切れるものではなかった。

09AAO5.jpg 5月7日に往路と同様に、ワシントンDC経由で成田空港に到着したが、検疫官が数名乗り込んできて、乗客全員にマスクをさせ、サーモグラフで発熱の有無をチェックし、約1時間をかけて一人一人の健康状態をチェックしていた。アメリカ国内では空港でもどこでも注意を促されることもなかったことから、日本の検疫体制の徹底ぶりが際立っていた。人口密度の高い日本としては致し方のない措置であろう。でも、隣に座っていたアメリカのご夫人には理解できないらしく、「アメリカ人はこうやって待たされるのには耐えられないのよ」と文句を言っていた。

投稿者 菅原準二 : 10:18 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月27日

第16報 モントリオールでのセミナー

 ケベック矯正歯科学会の招きで、カナダのモントリオールでワンデー・セミナーを行ってきました。09QAO1.jpg3月25日に日本を発ち、アメリカ在住の長女と次女とワシントンDCで合流して、一緒にモントリオールに到着。家を出てから20時間ほどの長旅でした。モントリオールは1982年の冬にノースイースタン矯正歯科学会で訪れたことがあり、実に27年ぶりでした。ケベック州モントリオールはフランス語が公用語で、まるでパリにでもいるようで、お店の名前も殆どがフランス語で表記されているので、発音すらおぼつかない感じでした
 26日は少し時間があったので、散歩がてら古い建物が残っている旧市街に足を向けてみました。印象的だったのはBasilique Notre-Dame
という荘厳な教会でした。今は、セリーヌ・ディオンがここで挙式したことで
知られているようです。 昼は旧市街に隣接しているチャイナタウンで飲茶を楽しみました。

 ケベック矯正歯科学会は、会員数は約150名とのことでしたが、私のセミナーにはその半分の80名が参加してくれました。
09QAO2.jpg  右の写真はセミナー開始15分前の会議室風景ですが、予想したように午前8時半の開始時間通りには始まらず、15分遅れでスタートしました。モントリオールでは、すでにミニスクリューは皆さん日常的に用いているとのことで、理論編はすっ飛ばしていいから、ミニプレートを適用した臨床例を数多く見せて欲しいという注文でした。つまり、ミニスクリューとミニプレートの適応症が分かりかねている様子で、それが、わざわざ私を日本から呼び寄せた理由でした。昼休みを挟んで午後5時すぎまで講演を行いましたが、多くの非抜歯症例や難症例を通して、ミニプレートを矯正用固定源に利用した治療法の威力を感じていただけたようでした。そのことは、会員から寄せられた沢山の質問や、後日ケベック矯正歯科学会会長のDr Catherine Jompheからミニプレートの購入先や埋入手術のビデオを送って欲しいというメールが送られてきたことからも、伺い知ることができました。

 講演後は娘達とライブジャズを楽しもうと予約していたレストランに向かいましたが、途中で The Iluminated Crowdという彫像を見つけました。09QAO3.jpgこれはRaymond Masonという芸術家の作品で、レジン製で表面はポリウレタンで覆われているとのことでしたが、とても斬新な作品で、遠くからもひときわ目立っていました。

 モントリオールは毎年ジャズフェスティバルが開催されることでも有名ですが、レストランではライブを楽しむ間もなく、グーグー寝てしまい、娘達に失笑されてしまいました。まさに、お疲れさまでした。

投稿者 菅原準二 : 09:41 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月07日

第15報 オランダでの外科矯正シンポジウム(BSSO)

0711294-1jpg.jpg   2007年11月29日と30日にオランダのハーレムで開催された2007 Biennial Symposium Surgical Orthodonticsにおいて講演をしてきました。ハーレムと言えばニューヨークを思い浮かべるかも知れませんが、ニューヨークのハーレムはHarlemで、オランダのハーレムはHaarlemとスペルが少し違いますが、ニューオークのハーレムの語源になっているとのこと。ハーレムはアムステルダムせいの郊外にある閑静な町で、聖バフォ教会,グローテ・マルクト広場,テイラー美術館など,主な観光名所は徒歩で数分の所に集中しています。ハーレムのかつての繁栄ぶりは、空に向かってそびえ立つ聖バフォ教会から容易に想像されます。その迫力はかつて訪れたことのあるケルンの大聖堂に匹敵します。図1は私が泊まったホテルのカーテン越しに撮影した教会の写真です。教会内部に設置された巨大なパイプオルガンにも驚かされました(図2) 。

  さて、BSSOはオランダの外科矯正チームが中心になって隔年開催されています。今回は、私の長年の友人で、このチームに関わりのあるDr.Joop Drenbosの招きによるものです。「包括歯科」「CBCTを用いた診断」「治療計画の立案」「術前矯正」「非外科的治療」「顔面非対称の治療」「開咬を伴ったLong faceの治療」に関する7つのセッションあり、私はこのうちの3つのセッションでSurgery First、SASによる開咬の治療、成長期/成人期の下顎前突治療についてそれぞれ30分ずつ話をさせていただきました。
  私以外では、Dr. G William Arnett、Dr. Vincent Kokich、Prof. Ravi Nanda、Dr. James Mah、Dr. Monica Palmerなどのビッグネームが講演者として招待されていましたが、彼らとはもう何度か他の学会やシンポジウムでも顔なじみになっており、その分だけリラックスした気分で講演をすることができました。それぞれ興味ある内容でしたが、とりわけDr. Palmerの「外科矯正治療計画における失望(Disappointments in Orthognathic planning)」と題した講演が印象に残りました。顎変形症の外科矯正治療においては手術失敗もさることながら、治療計画を立てる段階での失敗が見逃せない事実として存在するという問題提起でしたが、私も同じ思いを抱いていただけにとても納得できる内容でした。彼女はベルリンで開業している矯正歯科医で、 外科矯正を含む包括歯科を中心に診療をしていますが、同時にプロの画家でもあります。顎変形症の治療では、かみ合わせだけではなく容貌も扱うため、正解が分からない中で治療ゴール設定を強いられることから、術者にはスキル以外に芸術的センスが要求されます。患者の失望の多くは容貌に向けられることから、彼女の問題提起はいかにも芸術家らしい“ものの見方”を感じさせるものでした。

投稿者 菅原準二 : 14:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月30日

第14報 第7回インプラント矯正研究会セミナー

インプラント矯正とは、各種インプラントを歯を移動するための固定源に利用するという画期的な治療法を意味します。インプラント矯正を歯科臨床において適切に定着させるため、当時インプラント矯正を手掛けていた臨床医が中心になって、2000年にインプラント矯正研究会を設立しました。そして情報交換の場として年1回のセミナーを10年限定で開催することにしました。当時、矯正用固定源に応用されていた材料はサンキン社製のミニインプラント(K1)とミニプレート(SMAP)しか販売されていなかったことから、サンキン社に事務局を置いて第1〜5回セミナーを開催しました。その後、サンキン社以外の製品も販売されるようになったことから、昨年から事務局をカノミ矯正・小児歯科クリニック(姫路市)に移して第6回セミナーを開催しました。そして、今年から当院SAS矯正歯科センターに事務局を移し、残り4回のセミナーの企画運営に当たることになりました。

 

  今年度の第7回セミナーは、2007年11月13日に笹川記念会館(東京都)において開催しました。折しも、厚労省および学会から、現在市場に出回っているミニスクリューやミニプレートを矯正用固定源として用いることは目的外使用であることからその適用に当たっては患者の承諾が必須であることと、商品宣伝や商社主催セミナーを自粛するようにという指導がありました。研究会世話人の一部からもセミナーを見合わせてはどうかという意見も出されましたが、本セミナーは最初からコマーシャルを排し、学術的・臨床的な立場を貫いてきたことから、自粛の対象には当たらないと判断しました。
今回のセミナーでは、原点に立ち返り「インプラント矯正を安全かつ確実に行うために」という主題を設けました。高木多加志先生(東京歯科大学)による「インプラント矯正の医療としての現状」という基調講演に引き続き、Soon Yong-Kwon先生(ソウル)・植木和弘先生(広島市)「ミニスクリューの植立と矯正歯科治療」、長坂浩先生(宮城県立こども病院)・菅原準二(仙台市)「ミニプレートの安定性と治療メカニクス」、本吉満先生「失敗しない埋入方法と効率的な歯の移動」という講演がありました。さらに、初の試みとして秋葉順子先生{東京歯科大学}、諸靖子先生{仙台市}、池森伸江先生{名古屋市}による「歯科衛生士によるインプラント矯正のメインテナンス」と題したパネルディスカッションを催しました。貧乏な研究会で十分が謝礼をお支払いできませんでしたが、講師の皆さんは快く情報提供をしてくださいました。ひたすら感謝するのみです


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参加人数は予想を上回る150名で、会議室が最後列まで埋まるほどの盛況ぶりでした。いわば逆風とも言える状況でのセミナー開催でしたが、インプラント矯正への関心が依然として衰えていないことを知らされるとともに、インプラント矯正が日常臨床の中で確実に定着しつつあることを感じさせられました。

投稿者 菅原準二 : 10:28 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月10日

第13報 チャイルドライフ支援ボランティア講座

10月28日に、私が関わっているNPO法人ワンダーポケット(http://www.w-p.jp/)主催による2007年度のボランティア講座が仙台厚生病院・海老名ホールで開催されました(図1)。本講座は「すべての子どもたちに命の輝きを」というワンダーポケットの理念に基づくNPO活動の一環で行われているものです。病気や障害を抱えた子どもへの支援だけではなく、その兄弟姉妹やご両親への支援をも視野に入れたボランティアを養成することが目的です。

 

図1 主催者側の挨拶

 

のためには、現代に生きる子どもを取りまく家庭および社会環境などの問題点についても情報提供する必要があることから、チャイルドライフ・スペシャリスト、小児科医師、臨床心理士、心理学者など、ワンダーポケットの役員を中心として多彩な講師陣で組まれています。今年は、「実践に役立つチャイルドライフ支援の基礎知識2007」と題して、以下のような4名の講師による講義が行われました(図2)。いずれもインパクトのある内容でした。
1.足立智昭先生(宮城学院女子大学)「病気の子どもの親・家族の気持ち、サポート必要性について」
2.田沢雄作先生(国立病院機構仙台医療センター)「病気の子どもに必要なもの -安静そして人間コミュニケーション-」
3.工藤亜子先生(東北大学病院)「子どもの心理療法 –遊戯療法を中心として-」
4.藤井あけみ先生(国立がんセンター中央病院)「寄り添う大人になるために」

 

図2 ボランティア講座
 
私の役割は、ボランティア講座の企画と当日の司会を担当することが定番です。冒頭の挨拶で「いつも強制(きょうせい)的に司会(しかい)をやらされている矯正歯科医(きょうせいしかい)の菅原です」というジョークで会場の笑いを誘ってリラックスさせるのもいつものことです。でも、私には、異分野の専門家のお話をじっくり聴講することができる楽しみがあります。毎日、狭い口の中だけの診療に追われていると、どうしても視野狭窄症なってしまうことから、時々意識的に他分野の専門職のお話を聴くことによって、自分の社会における位置づけと役割を再認識することができます。

投稿者 菅原準二 : 11:46 | コメント (0) | トラックバック

2007年10月20日

第12報 第89回アメリカ口腔外科学会での講演

5月以来、久々の外国講演でしたが、ハワイで開催された第89回アメリカ口腔外科学会に出席してきました。今回は、アメリカだけでなく、日本と韓国を交えた初めてのジョイントミーティングでしたので、日本からも多くの口腔外科医が参加しておりました。7-8日に東京でDr. PancherzによるHerbst applianceのセミナーに参加して、その足で成田からホノルルに発ちました。口腔外科学会ですから、私のような矯正歯科医の参加はほとんどない訳ですが、今回出席した理由は、ワシントン州立大学口腔外科のDr. Jessica Leeからの依頼で、二人で「Skeletal Anchorage System: Clinical Protocols for Surgeons」というテーマでミニレクチャーをしようというお誘いを受けたからです。美しい韓国系アメリカ人の女医さんなので断れませんでした(図1)。

 

 図1 Dr. Jessica Leeとともに

 

 

学会でのミニレクチャーの経験は初めてでしたが、比較的小さな会議室でプレゼン用のスクリーンを取り囲むように机と椅子が配置され、20名ほど座れるようになっていました(図2)。ミニレクチャーへの参加者は、学会参加費(約600ドル:高いですね、でもアメリカの学会はいずれもこのような額です)以外に1レクチャー毎に120ドル支払って申し込むというシステムです。Dr. Leeによれば、通常は、定員の半分も出席すればOKとされているそうですが、幸いにも私たちの部屋は満員でした。出席者はほとんどアメリカの口腔外科医でしたが、このことからもアメリカにおけるインプラント矯正(TADs)への関心が矯正歯科医だけではなく、口腔外科医においても高まっていることがうかがい知ることができました。

図2 レクチャー風景
 

レクチャーは全体で2時間でしたが、最初の1時間でDr. Leeがインプラント矯正のレビューも含めて一般的な話をして、私は残りの1時間を使ってミニプレートを用いたSAS治療で何ができるかを具体的に紹介しました。Dr. Leeのマシンガン・トークに対して、私のジャパナイズド英語はとても聞き取りにくかったとは思いますが、沢山の質問を浴びせられました。質問の多さは、レクチャーの理解度およびインパクト度と比例するので、とりあえずハワイまで来て話をした甲斐があったと言うものです。
その夜は、Dr. Leeと私、それに医療チーム・パートナーの川村仁先生(東北大学・顎顔面外科)と長坂浩先生(宮城県立こども病院・口腔外科)も加わり、4人で夕日に映えるワイキキビーチとダイヤモンドヘッドが一望に見渡せる高層階のレストランで時間が経つのも忘れるほど楽しくディナーを頂戴しました(図3)。しかもDr. Leeのおごりで。でも、前菜に生のMiyagi Oysterが用意されていたのにはビックリ、さらにDr. Leeはまだしも、それを長坂先生が注文したのにもビックリ。何もワイキキまで来て、宮城の生牡蠣を食べなくとも良さそうなものを・・。

図3 レストランからの眺望 

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2007年08月12日

第11報:ある再治療症例の治療を終えて(2)

再治療とは何かについては第3報(2007年2月23日)で詳しく述べましたので、知りたい方はそちらをご覧下さい。ここでは、最近治療を終えた再治療例を紹介します。このクライアントをMさんと呼ぶことにします。きっかけは顎関節症状でした。その治療を求めて近くの病院歯科を訪れたところ、かみ合わせの異常を指摘され。紹介されて私のところにやってきました。Mさん(22歳女性)のお話しによれば、小学生の頃に関東の某大学歯学部附属病院矯正歯科において反対咬合の本格的治療を受けた経験があるとのことでした。図1は、初診時に撮影したお口の写真ですが、前歯部開咬と反対咬合を呈していました。上下顎の第一小臼歯が4本なかったことから、マルチブラケット装置による治療がなされたことが想像できました。また、X線写真から上下顎切歯の歯根吸収が著しいことも分かりました。治療前の状態が知りたくてMさんにお願いしましたが、残念ながら、もう10年以上前のことなのでその大学病院に資料は保存されていないとのことでした。 

図1 再治療開始直前の状態 

  子どもの頃に矯正治療を受けて、成人してから再治療を余儀なくされた症例の多くに共通することですが、例え永久歯列が完成していても、まだ顎の成長が残っている時点でマルチブラケット装置による仕上げの治療なされると、顎成長に伴ってこのような「再発」が生じることがあります。舌などの悪習癖を伴い、残余成長が大きければ大きいほど再発のリスクが高まります。
Mさんの再治療ですが、明らかに上顎骨が小さく、逆に下顎骨が大きかったことから、外科的矯正治療の適応症と診断しました。Mさんも私たちの提案をよく理解し、受け入れてくれました。そこで、診断後直ちにマルチブラケットを装着して、1ヵ月後には上顎骨の前下方移動術(Le Fort I 型骨切り術)と下顎後退術(下顎矢状分割術)を行いました。手術後約1ヵ月経過した時点から術後矯正治療を開始しましたが、歯は急速に移動し約10ヵ月で治療ゴールを達成しました。図2はブラケット装置を撤去した直後の状態を表しています。

図2 ブラケット装置撤去時(総治療期間11ヵ月)

術後矯正によって上下顎切歯の傾斜は適正化され、いわゆる機能的咬合が具備すべき条件をクリアすることができました。切歯の歯根吸収の進行も認められませんでした。また、顔写真を掲載できないのが残念ですが、顎矯正手術によって顎間関係は著しく改善され、かつ治療前はスマイル時に上顎切歯が見えなかったものが、治療後にはきれいなディスプレイに改善されました。

さて、ここで触れておかなければならないことは、治療後の安定性についてです。巷でよく耳にすることは、矯正治療後に「後戻り」や「再発」する例が多いということと、それが通り相場になっていることです。これは、大変不幸なことであると言わざるを得ません。なぜなら、適切な時期に、適切な診断と適切な治療が行われれば、後戻りや再発というリスクは最小限に抑えられるからです。Mさんの場合は、前述したように、治療時期に主たる原因があったと思います。顎成長が終息する高校生以降の時期に仕上げの治療を行っていれば(その場合、仕上げの治療として外科的矯正治療が必須だったとは思われますが)、結果は違ったものになっていたでしょう。
また、Mさんの歯列と咬合の安定性についてですが、まずは保定が重要です。保定装置は、上顎はラップアラウンドタイプのリテーナー(最初の1年が全日使用、以後は夜間使用を指示)、下顎には5〜5のリンガルボンディドリテーナーを装着しました。これらの保定装置を少なくとも5年間は使っていただくことになります。本例の場合、再発の最大リスクファクターと思われる顎成長については考える必要がないので、他の成人患者さんと同様に良好な術後経過を辿るものと予想しています。
 

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2007年06月10日

第10報 口腔成育シンポジウムでの講演

仙台口腔成育シンポジウム・ファイナルが6月2・3日に仙台弁護士会館において開催されました(図1)。主催は仙台を中心にした歯科医グループで、今年は5年間限定開催の最終年ということでファイナルと銘打っていました。口腔成育とは、子どものバイオ・サイコ・ソーシャルに関わる包括的歯科医療や支援を意味し、子どもの継続的なお口のケアを通じて心の発達(セルフケア確立や自立)にも寄与することを目的としています。そして自分たちの身体や心を大切にしようとするマインドが次世代に継承されることへの期待もその中に込められています。

図1 代表挨拶

 

現在、少子社会でのコミュニケーション不足、親の育児力の低下など、子どもの成育環境における様々な問題がとりざたされています。歯科医は子どもに接する機会が多いことから、地域専門職ネットワークの一員として、その問題解決に向けて少しでも貢献したいということも動機の一つになっています。とりわけ矯正治療の場合、ドクターが子どもたちの顎成長が終了するまで、激動の思春期も含めて、長期間おつきあいすることが多いことから、単に歯並びや噛み合わせを改善するという生物学的な対応にとどまらず、子どもの成育に関わる心理・社会学的知識を身につけていることが必須と考えられています。
今回のシンポジウムでは、平木典子先生「家族理解に役立つ家族システム理論」(基調講演)、佐々木洋先生「口腔の成育をはかるということ-時空をつなぐ成育支援マインド-」、村松いずみ先生「かかりつけ医をもつということ、かかりつけ医であるということ」、布柴靖枝先生「バイオ・サイコ・ソーシャルの統合をめざす口腔成育に期待するもの-歯科医療者が臨床心理学的視点をもつこととは?」、池森由幸先生「社会に共感をもって受け入れられる矯正歯科医療を求めて」、富永雪穂先生「成長期の矯正歯科治療における選択と優先順位」、伊藤智恵先生「不正咬合をシステムとしてとらえたアプローチ–口腔成育は統合的ヘルスケア-」、そして私の「口腔成育の一環として矯正歯科医療をとらえる-長期経過した再治療症例から学んだこと-」という講演がありました。

 

 

図2 ディスカッション 

  私の講演では「矯正治療がバイオ・サイコ・ソーシャルに関わる包括的歯科医療であることは理想である。しかし、プロフェッショナルの必要条件は、再治療例(失敗例)をなくし、治療の質を保証し、確実で安全な標準治療を確立する努力を怠らないことである。そのためには再治療例から多くを学ぶことできる。」ことを強調しました(図2)。
口腔成育の実践には多大な時間と労力を要するも、医業収入には直結しないことから、必ずしも多くの歯科医の賛同が得られているとは言えません。しかし、口腔成育によって多大な患者利益がもたらされ、かつ歯科医療の本質をとらえていることから、それが今後の医療として定着することを切に願っています。最後になりましたが、向山雄彦代表ならびに口腔成育研究会メンバーの皆さま、5年間の活動お疲れさまでした。

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2007年05月21日

第9報:The Dewel Awardの受賞

これは実にサプライズでした。
2007年の B.F. and Helen E. Dewel Award (通称The Dewel Award)が私たちの論文に与えられることになったからです。The Dewel Awardとは、矯正歯科学分野のトップジャーナルであるAmerican Journal of Orthodontics and Dentofacial Orthopedics (AJO-DO)が、その前年に掲載された全論文の中から、最優秀論文が選ばれて贈られる賞で、AJO-DOの賞としては最も権威のある賞とされています(図1)。授賞対象になった私たちの論文とは以下のような論文でした。
Sugawara J, Kanzaki R, Takahashi I, Nagasaka H, Nanda R : Distal movement of maxillary molars in nongrowing patients with the skeletal anchorage system, Am J Orthod Dentfac Orthopedics 129;723-733, 2006.

 図1 AAO Bulletin記事

 

表彰式が5月19日午前9時の約束だったので、私は、AAOでの自分の講演を終えたその足で、表彰会場であるシェランホテルに向かいました。会場では、すでにAJO-DOの編集長であるDr. Turpinと共著者のProf. Nandaが待ち構えており、直ちにプラークの贈呈と記念撮影が行われました(図2)。

図2 表彰状の授与 

実のことを言えば、私はそのような賞が存在することすら知りませんでした(すみません…)。なぜなら、AJO-DOは採択率が必ずしも高くなく、掲載されるだけでも嬉しいことなので、まさか最高栄誉の賞を獲得することなどは想像だにしていなかったからです。ともあれ、大変に名誉なことで、研究者の端くれとしてアカデミックサイトで34年間それなりに頑張ってきたことに対するご褒美として受け止め、ありがたく頂戴いたしました。私にとっては、すばらしいモニュメントになりました。これもすべて共同研究者らのお陰と感謝しております。

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2007年05月20日

第8報:アメリカ矯正歯科学会(AAO) での招待講演

AAOの年次大会は世界最大規模の学術大会で、参加者はアメリカ国内にとどまらず、世界各国から毎年約2万人の会員が集まります。今回で107回目の年次大会であることからしても、いかに伝統のある大会であるかが伺えます(図1)。私の年次大会での招待講演は、2000年シカゴ、2002年フィラデルフィア、2006年ラスベガスに続いて今度のシアトルで4回目ですが、その度に緊張を強いられています。講演後に聴衆による評価がなされ、その採点表が数ヶ月後に講演者に送られてくるからです。評価が低い場合は、以後、招待講演の機会が少なくなるという厳しさです。コンテンツが大事なのは当たり前のことですが、英語の発音が悪くて出席者に内容が伝わらないというのも減点の対象で、日本人だから発音は大目に見て欲しいという甘えは通らないようです。私を含め、日本人にとっては辛いことですが、世界の共通言語が英語になっている現在、避けることのできないハードルなのです。だから、若い日本の矯正歯科医には、英語力を付けるための継続的努力をしなさいと、いつも口が酸っぱくなるほど言っているのですが、きっと彼らには現実味もなく、危機感もない話に聞こえるのでしょうね。

 

図1 プログラム 

 

ところで、今回の学会場はWashington State Convention and Trade Centerで、私の講演会場は、約1500席の大きな6Eという部屋でした。朝8時からの講演だったことから出席者はきっと少ないだろうと踏んでいたところ(日本では常にそうなので)、予想とは裏腹に大勢の聴衆が詰めかけ、入りきれずに扉の外に列ができていました。私の講演は Implants as Anchorsというセッションに含まれていましたが、インプラント矯正が臨床医にとって依然として大きな関心事になっていることを伺い知ることができました(図2,3)。

 

図2 講演開始直前         図3 講演中の会場風景

今回の私の講演タイトルは「Non-Surgical and Non-Extraction Open Bite Correction in Adults with Orthodontic Miniplates」で、これまで治療がとても難しいとされてきた成人期の骨格性開咬症(skeletal open bite)を顎矯正手術なしで、かつ小臼歯を抜歯しないで、SASの適用で改善し、これまでのところ良好な長期成績を得ているという内容です。骨格性開咬症の治療は、かつては外科的矯正治療の適応でしたが、現在では、下顎骨が過大あるいは過小という問題を伴っていなければ、開咬症治療の第1オプションはインプラント矯正になりつつあります。患者さんにとっては顎矯正手術を避けられるという点で大変な朗報です。そして、小臼歯抜歯を前提とするのであれば暫間的固定源としてはミニスクリューで結構ですが、小臼歯を抜かない治療が可能であるとすれば、ミニプレートの適用を考えます。最終的には患者さんに複数の治療選択肢を示し、インフォームド・チョイスしていただくことが重要と考えています。私の患者さんでミニプレート適用例が多いという理由は、小臼歯を抜かない方針を選択される方が多いことを意味しています。そもそも治療ゴールが異なることから、ミニスクリューとミニプレートの比較は、外科的侵襲の多寡だけで優劣を決めることはできません(専門的な話でごめんなさい)。いずれにせよ、45分間の話でしたが、1500名もの聴衆が私の話を集中して聞いてくれたことに対して、ただただ感謝するのみでした。
話は前後しますが、17日にシカゴからシアトルの国際空港に到着し、自分の荷物を受け取るためにbaggage claimに行ったところ、いたるところに矯正歯科用ブラケット(通称ブレイス)の宣伝が大々的になされていました(図4)。

 

 

図4 矯正装置の宣伝(国際空港にて)

今回の学会にちなんでなのかどうかは確認できませんでしたが、アメリカ国民の多くが、歯並びや噛み合わせが悪ければ、何の抵抗もなく自然に矯正治療を受けている現実を反映しているものと理解しました。矯正歯科が、アメリカの歯科医療の中でトップの収益を上げていることや、矯正歯科医の社会的ステータスが高く、矯正歯科の大学院入学希望者が引きも切らないという現実と無関係ではなさそうです。日本文化は相当にアメリカナイズされ、特にファッションがそうですが、なぜか歯並びにその文化的影響が及んでいないのは、とても興味ある研究テーマです。


そうそう、忘れるところでした。本ブログの第2報で宿題になっていた件です。Pikeplace Market付近の路上に埋め込まれた在原業平の詩を詠んだプレートのことです。やはりいつものところにありましたので、写真を撮ってきました(図4)。「ついに行く道とはかねて知りしかど、昨日今日とは思わざりしを」を、英語では “I have always known that at last I would take this road. But yesterday, I did not know it would be today.”と表現しておりました。

 

図5 在原業平

 

投稿者 菅原準二 : 18:41 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月17日

第7報:コネチカット大学での講義

5月15日にレンタカーを運転してボストン(マサチューセッツ州)からファーミングトン(コネチカット州)に向かいました。フリーウェイの91 Westから84 Southに乗っての約2時間のドライブでしたが、天候は快晴で、新緑が太陽に輝いて、とても清々しい気分で気持ちよく運転できました。そして、医学部と歯学部そしてそれぞれの附属病院や研修施設などが組み込まれたUniversity of Connecticut (UCONN) Health Center(図1)に無事到着しました。 

   
図1 Uconn Health Center 

 

私の恩師であるProf. Ravi Nanda が、丁度午後の診療に入っていたので暫く外来で見学しながらレジデント(大学院生)らと雑談をして過ごしました。診療が一段落したところで、急にRaviが、天気も良いし、ゴルフに行こうと言い出し、それに従うことにしました。アメリカはサマータイムで、夜は8時頃まで明るいので午後3時頃から1ラウンド回ることが可能なのです。Raviの近くの立派なカントリークラブでプレーを楽しみました。スコアは48・42と1年に数度しかプレーしない私としては上出来。その夜は、ベッドルームがいくつあるか分からないほど広く豪華なRaviの家に宿泊(図2)。旅の疲れとゴルフの疲れが重なって、ぐっすり。英語で言うと “I slept like a log.”。

 

図2 Ravi宅からの眺望      図3 院生らと共に 

翌16日は、朝7時に大学に向かい、8時から12時過ぎまで20名ほどのレジデントを相手に講義を行いました(図3)。前半は「成長期反対咬合の診療ガイドライン」、後半は「Skeletal Anchorage System (SAS)」を話題にしました。用意したパワーポイントはそれぞれ1時間程度の内容でしたが、途中で質問攻めに合うため、倍の時間を要してしまいました。これだけ中味の濃い討論をすると教師冥利に尽きます。客員臨床教授としての義務を果たした思いがしました。

  

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2007年05月15日

第6報:16th International Symposium での招待講演と・・・

ボストン大学が主催するインプラントロジーのシンポジウムに招待され(図1)、5月13日にサンフランシスコ経由でボストンに飛び、その日の夜10時頃にホテルであるBoston Marriotte Long Warfに到着しました。その時、古い友人でYonsei大学(韓国)の学部長でもあるDr. Young Chel Parkとばったりと出会いました。彼と暫く雑談をした後に部屋に入りましたが、すでに外食するような時間ではなかったので、ルームサービスを頼むことにしました。注文したのは、ボストン名物のクラブケーキ(蟹肉を固めて焼いたもの)とクラムチャウダー(図2)。久しぶりだったことと、お腹がすいていたこともあってか、とても美味かった。

図1 プログラム   図2 クラブケーキとクラムチャウダー

さて、開けて14日に講演が予定されていたことから、準備を整えて会場のBoston Convention Centerに向かいました。このシンポジウムは、元来デンタル・インプランが中心でしたが、昨年からインプラント矯正のセッションが設けられるようになったとのこと。参加者の多くは矯正歯科医でしたが、すぐこの後にシアトルでアメリカ矯正歯科学会(AAO)が控えていたせいか、参加者数は少なめでした。私が主催者であれば、矯正歯科を分離せずに、interdisciplinary approachというセッションを設け、その一環としてインプラント矯正をどのように応用するかについて全体で討論した方が、より有益ではないかと思いました。


シンポジウムの話はこのぐらいにして、今度は野球の話しに移りましょう。大学時代は準硬式野球部に所属して三塁手をやっていたので、私は野球大好き男なのです。流石に最近はプレーする機会は殆どありませんが、テレビでの観戦が娯楽の一つになっています。実は、この日(5月14日)ボストン・レッドソックスがホームゲームで、しかも松坂が当番予定と知り、ホテルのコンシェルジェにチケットを探してもらいました。当然のことながら正規のものはすでに売り切れだったことから、コンシェルジェの知り合いのダフ屋を通して45ドルのチケットを100ドルで購入しました。ちょっと高いんじゃないのとは思いましたが、まあ滅多にないチャンスなのであきらめました。夜7時3分(何と半端な)試合開始ということで、少し早めにホテルを出て、古ぼけた地下鉄を使ってフェンウェイパークに向かいました。松坂人気は相当のもので、松坂の背番号のユニフォームを着たファンが大勢詰めかけていました。私の周りでは若いお兄ちゃんたちががぶがぶとビールを飲みながらの観戦です。松坂は絶好調とは言えませんでしたが、とても丁寧なピッチングでホームランを一本浴びたものの危なげない内容で、7対1のワンサイドゲームで5勝目を挙げました(図3,4)。それにしても不敵な構えで身体のでかい相手を手玉にとる松坂は大したものだと思いました。アメリカという環境に慣れるだけでも大変だと言うのに。

図3 フェンウェイ・パーク    図4 Dice-K Matsuzaka 

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2007年04月16日

第5報:21st Biennial Growth Seminarでの招待講演

ニューヨーク州とコネチカット州の矯正歯科医らによって構成されているNew-Conn Orthodontic Foundationという組織が、2年毎に42年間にわたってセミナーを主催してきました。今回は第21回セミナーになりますが、世界のトピックにもなっているインプラント矯正(TADs)が取り上げられ、「Temporary Anchorage Device and Implants in Orthodontics: When, Where, and Why Not?」というテーマで、ニューヨーク州White Plainsにおいて開催されました(図1)。招待講演者は、Dr.Anthony Gianelly、 Dr.Vincent Kokich、Dr.Giuliano Maino、Dr.David Sarver、Dr.Junji Sugawara(私)、Dr.Bjorn Zachrissonの6名でした。オペラの世界で言えばパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという三大テナーが一同に会したような豪華な顔ぶれで、この種のセミナーでは異例の400名を超える受講者が全米各地から集まるという盛況ぶりでした(図2)。

 

図1 リーフレット         図2 セミナー会場

私は、セミナー前日の12日に現地に入る予定で仙台を発ち、成田からロス経由でニューヨークに向かうことにしました。ユナイテッド航空890便で午前10時前にはロスに到着しましたが、乗り継ぎ便の機体到着が間に合わず、午後1時過ぎに出発の予定が2時半になっていました。その時間になって搭乗して、いざロスを出発という段になって、今度は左エンジンに故障が見つかり修理中とのアナウンスがあり、暫く座席で待機させられました。しかし、故障の修理のめどが立たず、結局午後4時過ぎになってキャンセルになってしまいました。ガックリときてしまいましたが、まあ途中で墜落するよりはましかと気持ちを切り替えにかかりましたが、ニューヨーク行きの100名以上の乗客が、それぞれ次の便の予約に走ったので、当然のことながらその日のうちに運行予定のニューヨーク行きの2便はキャンセル待ちであふれ返ってしまいました。私の講演は翌13日の昼過ぎに予定されていたので、遅くとも13日の午前中にはJFKに着いていなければならないため、何としても12日の便に乗る必要がありました。そこで、最悪のケースも考えて、空席があった13日朝7時の便を押さえた上で、12日の午後10時と11時半の待機リストに載せてもらうことにしました。と同時にWhite Plainsのホテルで待ち受けているはずの事務局に電話をして、最悪の場合は13日の午後3時到着になるので、プログラム変更の可能性についても伝えました。それからユナイテッドのラウンジで約6時間待って10時の便の空席を待っていましたが、全くだめで、11時半にラストチャンスを賭けることにしました。そこにも多くの待機者がいたため、今度も無理かなと諦めかけていたところ、待機リストのかなりの人が翌日の便に切り替えたようで、幸いにもようやく最後の数席に滑り込ませてもらいました。これで何とか招待先に迷惑をかけずに済むという思いでホッとしました。このような経験は今回が初めてで、何がおこるか分からないので、これからの招待講演では余裕をもって出かけるべきであることを痛切に感じました。


このようなハプニングがあったものの、13日の午前8時にはJFK国際空港に到着し、そのままWhite Plainsまで約1時間タクシーを飛ばし、何とか自分の講演には間に合いました。The Crowne Plazaというホテルが会場にもなっていたので、部屋でシャワーを浴びて、ちょっとだけ休息をとって、2時間の講演を無事終えました。講演内容はいつもの「Skeletal Anchorage System (SAS)」で、システム開発の背景、診断法、治療の進め方、ミニプレート埋入手術、メカニクスなどについて話した後、術後5年以上経過した症例を11例提示しました。SASを知らない参加者も多かったようで、熱心にメモをとりながら私の講演を聴いてくれました。とりわけ術後10年経過した症例提示に感銘を受けたようで、講演後に多くの人から感嘆の言葉を頂戴しました。そして、その日の最後に招待講演者全員が壇上に上がってパネルディスカションがありました。会場からの質問の多くは、実際にインプラント矯正に主体的に関わってきたイタリアのDr.Maino(図3)と私に向けられました。

 

図3 Dr. Mainoの講演 

私には、コーディネーターを務めたDr.Kokichから「小臼歯を抜歯すれば簡単に治せると思える症例をなぜSASを使ってまで非抜歯治療を行う必要があるのか」という質問がありました。アメリカでは定番の質問なのですが、これに対して、私は「日本では厚労省と日本歯科医師会が8020運動というキャンペーンをしているため、健全な歯を失うことを可及的に避ける傾向があること」「抜歯をするか非抜歯にするかは選択肢であって、患者がそのriskとbenefitを考慮した上で選択すべきことで、矯正歯科医が押し付けることではない」という説明をしました。
さて、明けて13日は、御三家とも言えるDr.Zachrisson、Dr.Kokich、Dr.Sarverの講演に加えて、Dr.Mainoと私がそれぞれ1時間ずつ話をしました(図4)。

 

図4 招待講演者

御三家はいずれもTADsの有用性は認めているものの、日常臨床ではさほど多くの経験を積んでいないようで、提示された症例は比較的簡単なものばかりでした。しかし、流石にプレゼンテーション技術は見事で、聴衆をぐいっと引きつけておくスキルには大いに学ぶべきところがありました。それにしても、なぜTADs経験が少ない御三家を招待したのだろうか、ちょっと不思議でしたが、主催者側の説明は明確でした。一つは、ビッグネームを利用して多くの参加者を集めること。もう一つは、世界のオピニオンリーダーである彼らのTADsに対する意見、批判、提言を聞きたかったことにありました。主催者側の意図は見事に的中し、実際に多数の参加者があり、土曜日の午後のセッションでも(通常はかなりの人が帰ってしまう)最後まで一人も帰らなかったという盛り上がりようでした。
とりわけDr.Kokichの講演におけるTADsに関する論文レビューでの歯に衣着せぬ批評は痛烈で、我々の論文のいくつかも批判の対象(えじき)になりました。論文の内容を「Rational? Reasonable? Stable?」という三つの視点から評価するというのが彼の手法で、TADsを用いて大臼歯を圧下して下顔面高を減少させることや大臼歯の遠心移動による非抜歯治療についての疑問を訴えていました。前者については、Surgeryによる下顔面高減少後の後戻りが大きいという過去の論文(下顔面高の減少に咀嚼筋が適応しない?)を根拠に、TADsによる下顔面高減少でも同じことが言えるだろうし、圧下した大臼歯も戻るだろうという見解でした。これについては午後のパネルディスカションにおいて、「では、下顔面高および口唇離開が過大なopen biteには打つ手がないということか?」という質問をしようと思っていましたが、パネルディスカションが火災報知器の誤報騒ぎのためにドタキャンになってしまったので果たせずじまいでした。また、後者の大臼歯の遠心移動についても過去の論文を根拠に、術後安定性は低いにちがいないという個人的見解を述べていましたが、これは明らかに考察不足だと思いました。なぜならば、根拠となっている論文では、いずれも顎成長の旺盛な思春期の症例を対象としており、遠心移動に先立って智歯や第二大臼歯を抜歯しposterior crowdingの発生を予防するなどの前処置をせず、後戻りのリスクファクターを残していたからです。我々が成人を対象とし、遠心移動に先立って必ず智歯あるいは第二大臼歯を抜歯しているのとは大違いだからです。これも、パネルディスカッションで取り上げてみようと思っていましたが、残念ながらできませんでした。しかし、私にとって、このような批判はもとより大歓迎です。とても刺激的で、次の研究や講演のヒントになるからです。遠路遥々、ニューヨークまで来た甲斐があったと言うものです。
13日の私の講演は「A New Approach to using SAS –Surgery First-」 というタイトルで行いました。これまでの伝統的な外科的矯正では、最初に術前矯正を行ってから顎矯正手術を行うという手順でしたが、下顎前突では術前矯正のdecompensationに伴って反対咬合と顔貌が悪化し、かつ治療期間が長びくという欠点がありました。Surgery Firstでは文字通り最初に手術を行うことから、主訴でもある顔貌の改善が早い段階でなされることになり、かつ総治療期間もこれまでのところ平均11ヵ月と劇的に短縮されるようになりました。極めてpatient orientedな方法です。この方法のポイントは、術中に埋入した顎間固定用チタンプレートを絶対的な固定源として術後矯正に応用することによって歯列単位のコントロールが可能になったことと、顎骨の手術後に骨代謝が変化して歯の移動速度が速まるという特性を利用したことにあります。世界では誰も行っていない治療法であることから、Dr.ZachrissonやDr.Kokichをはじめ多くの先生方から賞賛を受けました。レッドソックスのダイスケ(アメリカ人がみんなダイスケを知っているのには驚きました)の言葉を借りれば、Surgery Firstへの自信が確信に変ったというところでしょうか。また、ボストン大学のDr.Gianellyが会場の外ですれ違った際に、「お前がやっている仕事は素晴らしい、それにお前の英語がうまいのは感心した」とぼそっとコメントを述べていたのには、半分お世辞であるにせよ正直嬉しく思いました。でも、この程度の英語でお褒めの言葉をいただくということは、日本人の英語ベタは世界の常識であることを改めて思い知らされました。
セミナーが開けて、13日の夜は、New-Conn Orthodontic Foundation主催によるディナーが会場近くのステーキ・レストランで行われました。私は、BSEという文字が脳裏をちらっとかすめたものの、ステーキ・レストランでサーモンを食べることもないだろうと思い、ステーキを注文しました。予期したように革靴大の肉塊が出てきました(図5)。

 

図5 アメリカンステーキ 

まさに肉塊としか言いようがありません。味は最高であったものの、とても食べきれるものではなく、半分残さざるを得ませんでした。デザートのチーズケーキもステーキの大きさに比例して巨大で、これも半分しか食べられませんでした。腹も身の内と思うようでは、もうお終いかなとちょっと悲しくもありました。それにしても、アメリカ人のジョーク好きは異常です。食事の途中からジョーク合戦が始まり、次々と入れ替わり立ち替わり、ジョークの嵐でしたが、私には何が面白いのかさっぱり分からず、むしろ彼らが腹を抱えて笑う様を見て笑うという疲れる時間を過ごしました。これからは、英語のジョークを2〜3発仕込んでから出かけるようにしようと決心した次第です。外人ではDr.Zachrissonが孤軍奮闘。英語ベタのフランス人が外交官が集まった宴会であいさつした際に、Happinessと言ったつもりが、皆にはPenisとしか聞こえなかったという下ネタでした。
帰途は、朝の4時過ぎにWhite PlainsのホテルからJFK空港まで立派なリムジンで送ってもらい、飛行機のキャンセルもなく、往きと比べればあまりにも順調な帰りの旅でした。しかし、いつものことながら、ロスから成田への機内食(幕の内弁当)の味付けはひどかった。どうやらコスト削減のために、日本人が関与していないケータリングサービスにやらせているためらしい。帰路の機内ではもう二度と日本食をオーダーするもんかと心に誓いました。

投稿者 菅原準二 : 08:37 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月01日

第4報:アングル矯正歯科学会の年次例会に出席

The Edward H. Angle Society of Orthodotists、すなわちアングル矯正歯科学会は、近代歯科矯正学の父と呼ばれているE.H.Angleにちなんで設立された学会です。East, Midwest, North Atlantic, Northern California, Northwest, Southern California, Southwest という7つの支部に分かれており、企画運営はそれぞれの支部が独自に行っています。2年に1度、全体の集会があります。 

アングル矯正歯科学会の場合、通常の学会と異なり誰でも自由に会員になることができるわけではありません。会員資格は、支部ごとに定められた審査基準に合格した者だけに与えられています。ちなみに、私が所属しているNorth Atlantic Componentでは、1)正会員2名の推薦、2)例会での研究発表、3)例会での症例報告が必要で、正会員による審査を経て正会員になることができます。正会員になった後も、3年に1度は例会での発表が義務づけられています。私は、Prof. Ravindra NandaとProf.Charls J. Burstoneの推薦を得て、2003年ラスベガス例会にゲストでの参加を許され,翌2004年アムステルダムでの例会で正会員になりました。支部によっては、外国人(アメリカ人以外)の加入を厳しく制限しているところもあるようですが、North Atlantic Componentの場合には、at largeとして20名の外国人が正会員として受け入れられており、日本人は私を含めて6名です。
さて、今年の例会は、アイルランドのNewmarcket-on-Fergusという町にある古城を改造したDromoland Castleというホテルで行われました(図1、2)。

 

図1 Dromoland Castle Hotel                      図2 ホテル内ティールーム

成田からロンドン経由で、Shanonという空港で降り、そこからタクシーで約20分のところでした。18ホールのゴルフ場を含む広大な敷地内に蒼然とたたずむ城のたたずまいは、いかにも歴史を感じさせるアイルランドならではの風景でした。部屋も広く、設備はRitz-Carlton並みの豪華さでしたが、アングル矯正歯科学会の特別割引により、一泊209ユーロで宿泊することができました(それでも高い)。アイルランドの伝統的朝食(図3)もいただきましたが、アメリカン・ブレックファーストの原型になっているせいなのか、あまりかわり映えはしませんでした。ちょっとがっかり。

 

図3 伝統的アイルランド朝食        図4 ミーティング風景


会員による講演は29日と31日に行われました(図4)。45分の持ち時間での発表でしたが、それぞれ一家言を持つ矯正歯科医だけあって、視点や発想がユニークでした。その中でオクラホマ大学を退職したばかりのDr. Ram Nandaによる「My 50 Years in Orthodontics」と題する講演は、とても感銘深いものでした。とりわけ、1950年代にインドからアメリカに渡り、大変な苦労をされて地位を築かれたという話は、アメリカンドリームを地で行くサクセスストーリーにも聞こえましたが、現在の矯正歯科が必然的にこうなったのではなく、彼のような真摯な先人たちの努力によって作られたものであることを強く認識させられました。と同時に、現在を生きる私たちが現在を享受するだけでなく、進行形で歴史を作り、よりよい医療を提供するために次世代につなぐという意識をもてというメッセージをいただいたような気がしました。このような話を聴く機会が得られたのはアングル矯正歯科学会ならではのことでした。
30日は参加者全員で近郊へバスツアーを行いました。見所は、リアス式海岸のモラーの断崖(図5)でしたが、周囲には樹木が一切無く、とにかく荒涼とした風景が延々と続いておりました。その日の天候は晴れであったからまだしも、もし曇天や雨だったら相当に陰鬱な雰囲気になっていたことでしょう。

 

       図5 モラーの断崖

帰途にホテルからShannon空港に向かおうとした時に、偶然Prof. Burstoneのタクシーに同乗することになり、話の中で彼はこの4月で79歳になることをしりました。何と私よりも20歳も年上。にもかかわらず眼と話に力があるし、今なお世界各地で講演し続けている気力と体力は大したものです。タクシーを降りてチエックインカウンターに向かう時も、二つの大きなトランクを一人で引っ張って行きました。体力の秘訣を聞いたところ、週4回は5 kmのジョギングを続けているとのこと。まさに継続は力なりです。
ところで、Prof. BurstoneがShannon空港から向かった先は、パリのOlivierに招かれて、私も1月に行った継続教育での一日講演でした。何たる偶然。

投稿者 菅原準二 : 08:15 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月23日

第3報:ある再治療例の治療を終えて(1)

◆再治療とは
「再治療学」というテーマは、ここ数年の私の関心事の一つで、昨年10月に横浜で開催された第34回日本臨床矯正歯科医会大会において「再治療症例から見えてきたこと -確実で安全な矯正治療を目指して-」というタイトルで特別講演を行いました。再治療の定義は「マルチブラケット装置を用いて永久歯列の全体的な咬合構成を図ったにもかかわらず、満足な治療結果が得られなかった場合や、治療後に何らかの要因で不正状態が再発してしまった場合に、患者あるいは術者側の希望に基づいて、再びマルチブラケット装置による本格的治療を行うこと」(2006菅原)です。再治療という言葉は少し和らげた表現で、実際は失敗症例のリカバリー治療を意味しています。

 

再治療症例に認められる一般的な特徴は、すでに小臼歯が抜歯されているにもかかわらず、叢生、上顎前突、反対咬合、開咬、交叉咬合などの咬合異常が残存あるいは再発した状態であり、改善が極めて困難な場合が多いことです。従来、このような症例はいわゆる「クローゼット・ケース」として扱われ、正式に論議の対象になることは稀でした。しかし、SASの開発によって、これまでの伝統的治療法ではおよそ不可能と思われていたような再治療症例の問題解決(リカバリー)が可能になり、十分な患者満足度を得ることができるようになったことが「再治療学」の動機の一つになっています。 では、なぜ「再治療学」が重要なのでしょうか? それは、端的に言えば、成功例の理由を探ることは容易ではないものの、再治療例(失敗例)の原因については比較的容易に特定することができるからです。そして、失敗原因を特定し、不適切な治療への警鐘を鳴らし、失敗の再発を防ぐことによって、治療の質を保証し、確実で安全な標準治療を求めることが可能になるからです。しかし、再治療学の目的には、施術者である歯科医師個人の責任を追及し、糾弾することは含まれておりません。

◆ある再治療例
さて、今日、ある再治療例のブラケット装置を外し、動的治療を終了しました。この方を仮にAさんとしておきましょう。Aさんは30歳過ぎの成人女性です。再治療症例には悲惨な物語(narrative)を伴っていることが少なくないのですが、Aさんの場合のnarrativeは以下のようなものでした。 Aさんは、関東地方の○市に在住中に、かかりつけ歯科医から矯正治療を勧められ、○○歯科クリニックを紹介されました。同医院において、上顎左右第一小臼歯と下顎左右第二小臼歯を抜歯後、マルチブラケット装置による治療が始まりました。しかし、約5年間治療を続けましたが終了には至らず、夫の転勤に伴い仙台市に転居。○○歯科クリニックからは、転医先として△大学病院を紹介されました。しかし、新患担当医の「乳児がいらっしゃるので、通院に便利な開業矯正歯科で治療を継続されてはいかがでしょうか?」との助言を受け入れて、仙台市内で開業している □矯正歯科クリニックの紹介を受けました。その後、□ 医が○○ 医のこれまでの治療内容を批判めいた発言をしたとのことで、○○医と □ 医との間でトラブルが生じてしまいました。そこで、元主治医の○○ 医の提案に従って、今度は私のセカンドオピニオンを求めて来院されました。Aさんは、地元の●矯正歯科医の意見(サードオピニオン)も参考にして、最終的に、私のもとで診療を受けることを希望されました。そして、それまで装着していたマルチブラケット装置を撤去して、再治療のための検査を行いました。

 

図1 再治療開始前の咬合状態

図1はその時の咬合状態です。客観的に見て、5年間マルチブラケット治療を受けたという状態とは思えませんでした。Aさんのお話しでは、真面目に毎月通院されたとのことです。過蓋咬合、重度のスピー彎曲、II級咬合、抜歯スペース残存など、本質的な問題点がほとんど改善されていませんでした。加えて重度のgummy smile(微笑んだときに歯茎まで見える)、小下顎症、short faceなどの骨格系にかかわる症候が認められました。私は、5年経っても治療目標が達成されなかった最大の要因は、前医がこの骨格系の問題点を治療対象にしなかったことにあるのではないかと推察しました。つまり、骨格系の問題点を見逃したか、あるいは軽視したかは分かりませんが、重度の骨格性不正咬合を歯の移動だけで補償的に改善しようとしたことが最大の要因であるように思われました。

いずれにせよ、すでに小臼歯を4本失って上下顎切歯とも過度に舌側傾斜しており、伝統的な矯正治療法では対応できないことは明白でした。そこで、検査資料をもとに熟考した上で、第1治療選択肢として外科的矯正治療を提案しました。まず、上顎にはLe Fort I型骨切り術を適用し、さらに上顎骨片を前歯部と臼歯部の2つのセグメントに分け、前歯部セグメントを抜歯スペースを閉じるように後上方に移動すること。そして、下顎には下顎枝矢状分割法を施して、歯列の含まれている遠位骨片を近心移動(advancement)し、重度のスピー彎曲は下顎前歯の圧下によって、下顎抜歯スペースは下顎大臼歯の近心移動によって対応しようという計画です。また、重度の歯周炎(特に臼歯部の骨吸収が進行)を伴っていたことから、外科的矯正治療を始める前に、専門医による歯周治療が必要であることを伝えました。

当初Aさんは、顎骨手術と聞いてビックリしていましたが、治療計画の論理性・予知性・迅速性を良く理解され、最終的には受け入れていただけました。

図2 治療経過(左から手術後1カ月、4カ月、7カ月経過時)

図2は治療経過を示しています。約6ヵ月間の歯周治療の後にマルチブラケット装置を装着し、直ちに顎骨手術(Two-jaw surgery)を適用しました。手術後約1ヵ月経過した時点から術後矯正治療を開始しました。上下顎切歯を圧下し、上下顎臼歯を近心移動することが主な治療目標でした。顎骨への外科的侵襲後に歯の移動速度が早まるという”Wilckodontics” http://www.wilckodontics.com/ の概念を応用し、術後矯正治療は約10ヵ月で終了しました。手術を含めて総治療期間は約11ヵ月でした。

 

図3 再治療終了時の状態 

図3はブラケット装置撤去直後の状態を表しています。治療前に設定した治療目標をほぼ100%達成することができました。Aさんにも十分満足いただける結果が得られました。また、Aさんにとって不幸中の幸いだったことは、前医から治療費の一部(60万円)が返還されたことでした。

◆患者さん心得
この再治療事例から一般論として以下のようなことが言えます。すなわち、評価手段を持ち合わせていない患者さんにとって、自分の担当となる矯正歯科医の診断能力やスキルを知ることは決して容易ではないことです。よって、事前の情報収集がとても重要になります。あらかじめ、口コミ情報やネット情報などによって2〜3の医院や病院に候補に絞り、実際に初診相談を受けることによって、最終的に自分が最も納得できる方針を提示してくれた医療機関を選択することをお勧めします。矯正歯科診療は比較的高額な自費診療であることから、それをみすみす無駄にすることは極力避けなければなりません。そのためには診療に入る前の初診相談料を決して惜しむべきではありません。セカンドオピニオン、時にはサードオピニオンを得ておくことがとても大事です。矯正診療費の高低だけで決めることは最も危険です。矯正歯科医のスキルや医療倫理を向上させることもさることながら、患者さんが信頼できる矯正歯科医に出会うための努力をすることが再治療(失敗)を避けるための近道だと私は思っています。
(今回の報告および写真掲載については、Aさんの事前承諾を得ております)

投稿者 菅原準二 : 23:12 | コメント (1) | トラックバック

2007年02月11日

第2報:退官記念感謝会

昨年12月31日付けで私が東北大学を辞めたという話は先にしましたが、後輩の有志が中心になって呼びかけを行い、2月11日に私の退官記念感謝会を開催してくれました。会場は勝山館(しょうざんかん)。私は出席者が約180名を数えたことにまず驚きました。事務局からは呼びたい人を全部呼んで構わないからと言われて名簿を渡したものの、連休の中日でもあり、出席者はそれほど多くはないだろうと思っておりました。嬉しかったですね。

柴山光由さんの司会で、午後6時に開宴しました。大井龍司先生(宮城県立こども病院院長)、吉田直人先生(元宮城県歯科医師会会長)、仁平義明先生(東北大学大学院文学研究科教授)から、それぞれ心温まる祝辞を頂戴しました。つづいて渡辺剛先生(東北大学名誉教授)の音頭による乾杯が行われました(図1)。

 

図1 乾杯 

渡辺先生とは学友会バドミントン部OBとしておつきあいいただいておりますが、自ら不良老人と豪語しているだけあって、軽妙洒脱なお話や、歯に衣着せぬ教育・学問界の現状批判を展開され、会場の喝采を浴びておりました。失うものも恐れるものがないというのは一種の清々しさを感じさせるものなのですね。流石でした。
宴会は次第にたけなわになり、会場のあちこちで話し合いの輪ができあがって行きました。私は、大学時代は他業種の人とのおつきあいも多かったので、歯科関係者以外にも多くの出席者がありました。そのため「あれっ、なぜあなたがここにいるの?」とか「菅原先生とどういうご関係?」とか言う声が各所から聞こえてきました。前述の渡辺先生の言葉を借りれば、今宵は菅原マフィアの集会のような様相を呈していました。
途中、顎顔面外科の小枝先生が率いるフラメンコチームの飛び入りがあり、宴は益々盛り上がり、多くの方からスピーチを頂戴したにもかかわらず、マイクを通したその声がほとんど聞き取れない状態でした。私は、すべてのテーブルに周り、ご挨拶を申し上げようと努力しましたが、いくつかのテーブルを残してしまいました。大変申し訳ないことをしました(図2)。

 

図2 小枝先生らによるフラメンコ 


最後に、私の挨拶が回ってきました。あくまでも自然体で気負わずにと心して壇上に昇りました。席次表を見たある人が「まるで生前葬のようだな」とつぶやいたのをちゃっかりキーワードの一つに使わせてもらいました。いや本当に冗談ではなく、私はこれで自分の葬儀は家族葬で済むなと思いました。そして、私のファーストステージでのご厚誼に対して皆さんに御礼を述べることができたのはとても良かった。なにせ、死んでからでは口がきけないわけですから。
もう一つのキーワードは在原業平の「ついに行く道とはかねて知りしかど、昨日今日とは思わざりしを」という辞世の句でした。実感ですね。大学にいる時には、いつかは大学を辞める時が来るのだろうなとは漠然と思ってはいましたが、現実にそれは今だとは思ってもいなかった訳ですから、ぴったり重なります。実はこの句との出会いにはエピソードがあります。10年ほど前までさかのぼらなければなりません。シアトルを訪れた時のことです。シアトルのウオターフロントにPikeplace Marketという大きな市場があります。その入り口の前の歩道にたたずんで、何気なく路上を見つめていたとき、英語で書かれた小さな金属プレートが埋め込まれているのを見つけました。よく見みると、英語の詩でした。さらによく見ると、詠み人としてNarihira Ariwaraと名前が書いてありました。そして、肝心の句はと言いますと、実は当時は英語で覚えていたのですが、残念ながら忘れました。でも、どこかで聞いたような詩だなと思っていたら、高校時代に古文で学んだその句だったのです。(5月にアメリカ矯正歯科学会に出席のためにシアトルに行くので、写真に撮ってきます)そして、出席者の方々をいくつかのジャンルに分けさせていただいて、そのジャンルごとに生前、いや大学時代お世話をいただいたことに対してお礼を述べさせていただきました。これで思い残すことがなく、あの世、いやセカンドステージに進むことができそうです。ありがとうございました。それから、沢山の花束を頂戴しまして、ありがとうございました(図3)。

図3 花束贈呈 

投稿者 菅原準二 : 19:59 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月28日

第1報:フランス矯正歯科学会・継続教育コースでの招待講演

フランスの矯正歯科学会では、今年から国内外から講師を招いて会員向けの継続教育コースを開始することになったとのことで、その皮切りとして私が招聘されました。(図1)

図1 プログラム 

 

 私は、昨年12月31日に34年間勤務した東北大学を早期退職し、親戚の歯科一番町(桃野秀樹院長)にSAS矯正歯科センターを併設させていただき、1月 9日から勤務し始めました。センターの立ち上げ準備に追われていたことと、大学を辞めてから初めての海外招待講演であり、加えて一日講演であったことか ら、気苦労(プレッシャー)も含めて何かと準備が大変でした。講演前日の1月27日に仙台を離れ、成田からエア・フランスでパリに向かいました。パリは2005年9月に世界矯正歯科学会(WFO)でアジア代表Champion Lecturerに選ばれ講演をした思い出の都市だったので、勝手知ったる何とかで空港バスに飛び乗ってホテルに向かいました(図2)。

図2 花の都パリ

図2 花の都パリ 

ホテルは凱旋門のすぐ目の前にあるHotel Splendid Etoile。豪華ではありませんでしたが、とても落ち着きのある古い小さなホテルで、とても気に入りました。招待側のフランス矯正歯科学会の学会長であるDr. Olivier Mauchampが、一緒に夕食を取ろうということで夕方7時にホテルに迎えにきてくれました(図3)。

図3 Olivierと私

図3 Olivierと私 

土曜日の夜で込み合うレストランには、もう一人フランス矯正歯科学会の重鎮Dr. Pierre Planche が先にきていて三人でワインを飲みながら楽しく食事をしました。Olivierはスキー狂で、「日本では良いスキー場があるのか?」「お前はスキーをやるのか?」「俺はオリンピック金メダリストのキリーと知り合いだぜ」とか、何かと言えばスキーの話になっていたました。私のスキーに関する話題と言えば、随分前にスキー中に崖から落ちて、エッジで右頬に骨まで達する傷を負い、マフィアまがいの迫力のある顔になったと自慢するぐらいでした。


翌28日は朝8時過ぎから、ホテル近くの会場で講演が始まりました。その時もOlivier自らが迎えにきてくれました。どこかの国だったら、きっと部下の若者が使いやってくるのにと、すっかり感心してしまいました。会場には、各地の大学教授や年配の矯正歯科医などそうそうたるメンバーが約30名集まっていました(図4)。

  図4 会場風景

図4 会場風景 

講演は私が英語で話をして、それをアラン・ドロンばりのハンサムなフランス人の通訳(矯正歯科医)がフランス語に逐次通訳するという形式で進められました。テーマは、私たちが開発したSkeletal Anchorage System (SAS) についてでしたが、冒頭にどれほど経験者がいるのか知りたくて質問したところ、ミニスクリューがちらほら、ミニプレートに至ってはほとんどおりませんでした。フランスでのインプラント矯正はまだ黎明期のようでした。


講演は、昼食やコーヒーブレイクをはさみながら夕方6時過ぎまで続きました。皆さん熱心に聴講してくれましたし、山ほど質問を浴びせられました。とりわけOlivierが最前列で、一度も居眠りをすることもなく、食い入るようにスライドを見つめ、先頭を切って質問をしていたのが最も印象的でした。彼は65歳で短躯。しかし、スキーで鍛え上げられた身体は見事で、フランス矯正歯科矯正学会のリーダーとして責任感に満ちあふれていました。本当に素晴らしい。また自分のロールモデルになるような人物と知己になれました。今回の旅の最大の収穫でした。

投稿者 菅原準二 : 15:44 | コメント (0) | トラックバック

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