2007年05月15日

第6報:16th International Symposium での招待講演と・・・

ボストン大学が主催するインプラントロジーのシンポジウムに招待され(図1)、5月13日にサンフランシスコ経由でボストンに飛び、その日の夜10時頃にホテルであるBoston Marriotte Long Warfに到着しました。その時、古い友人でYonsei大学(韓国)の学部長でもあるDr. Young Chel Parkとばったりと出会いました。彼と暫く雑談をした後に部屋に入りましたが、すでに外食するような時間ではなかったので、ルームサービスを頼むことにしました。注文したのは、ボストン名物のクラブケーキ(蟹肉を固めて焼いたもの)とクラムチャウダー(図2)。久しぶりだったことと、お腹がすいていたこともあってか、とても美味かった。

図1 プログラム   図2 クラブケーキとクラムチャウダー

さて、開けて14日に講演が予定されていたことから、準備を整えて会場のBoston Convention Centerに向かいました。このシンポジウムは、元来デンタル・インプランが中心でしたが、昨年からインプラント矯正のセッションが設けられるようになったとのこと。参加者の多くは矯正歯科医でしたが、すぐこの後にシアトルでアメリカ矯正歯科学会(AAO)が控えていたせいか、参加者数は少なめでした。私が主催者であれば、矯正歯科を分離せずに、interdisciplinary approachというセッションを設け、その一環としてインプラント矯正をどのように応用するかについて全体で討論した方が、より有益ではないかと思いました。


シンポジウムの話はこのぐらいにして、今度は野球の話しに移りましょう。大学時代は準硬式野球部に所属して三塁手をやっていたので、私は野球大好き男なのです。流石に最近はプレーする機会は殆どありませんが、テレビでの観戦が娯楽の一つになっています。実は、この日(5月14日)ボストン・レッドソックスがホームゲームで、しかも松坂が当番予定と知り、ホテルのコンシェルジェにチケットを探してもらいました。当然のことながら正規のものはすでに売り切れだったことから、コンシェルジェの知り合いのダフ屋を通して45ドルのチケットを100ドルで購入しました。ちょっと高いんじゃないのとは思いましたが、まあ滅多にないチャンスなのであきらめました。夜7時3分(何と半端な)試合開始ということで、少し早めにホテルを出て、古ぼけた地下鉄を使ってフェンウェイパークに向かいました。松坂人気は相当のもので、松坂の背番号のユニフォームを着たファンが大勢詰めかけていました。私の周りでは若いお兄ちゃんたちががぶがぶとビールを飲みながらの観戦です。松坂は絶好調とは言えませんでしたが、とても丁寧なピッチングでホームランを一本浴びたものの危なげない内容で、7対1のワンサイドゲームで5勝目を挙げました(図3,4)。それにしても不敵な構えで身体のでかい相手を手玉にとる松坂は大したものだと思いました。アメリカという環境に慣れるだけでも大変だと言うのに。

図3 フェンウェイ・パーク    図4 Dice-K Matsuzaka 

投稿者 菅原準二 : 17:38 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月16日

第5報:21st Biennial Growth Seminarでの招待講演

ニューヨーク州とコネチカット州の矯正歯科医らによって構成されているNew-Conn Orthodontic Foundationという組織が、2年毎に42年間にわたってセミナーを主催してきました。今回は第21回セミナーになりますが、世界のトピックにもなっているインプラント矯正(TADs)が取り上げられ、「Temporary Anchorage Device and Implants in Orthodontics: When, Where, and Why Not?」というテーマで、ニューヨーク州White Plainsにおいて開催されました(図1)。招待講演者は、Dr.Anthony Gianelly、 Dr.Vincent Kokich、Dr.Giuliano Maino、Dr.David Sarver、Dr.Junji Sugawara(私)、Dr.Bjorn Zachrissonの6名でした。オペラの世界で言えばパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという三大テナーが一同に会したような豪華な顔ぶれで、この種のセミナーでは異例の400名を超える受講者が全米各地から集まるという盛況ぶりでした(図2)。

 

図1 リーフレット         図2 セミナー会場

私は、セミナー前日の12日に現地に入る予定で仙台を発ち、成田からロス経由でニューヨークに向かうことにしました。ユナイテッド航空890便で午前10時前にはロスに到着しましたが、乗り継ぎ便の機体到着が間に合わず、午後1時過ぎに出発の予定が2時半になっていました。その時間になって搭乗して、いざロスを出発という段になって、今度は左エンジンに故障が見つかり修理中とのアナウンスがあり、暫く座席で待機させられました。しかし、故障の修理のめどが立たず、結局午後4時過ぎになってキャンセルになってしまいました。ガックリときてしまいましたが、まあ途中で墜落するよりはましかと気持ちを切り替えにかかりましたが、ニューヨーク行きの100名以上の乗客が、それぞれ次の便の予約に走ったので、当然のことながらその日のうちに運行予定のニューヨーク行きの2便はキャンセル待ちであふれ返ってしまいました。私の講演は翌13日の昼過ぎに予定されていたので、遅くとも13日の午前中にはJFKに着いていなければならないため、何としても12日の便に乗る必要がありました。そこで、最悪のケースも考えて、空席があった13日朝7時の便を押さえた上で、12日の午後10時と11時半の待機リストに載せてもらうことにしました。と同時にWhite Plainsのホテルで待ち受けているはずの事務局に電話をして、最悪の場合は13日の午後3時到着になるので、プログラム変更の可能性についても伝えました。それからユナイテッドのラウンジで約6時間待って10時の便の空席を待っていましたが、全くだめで、11時半にラストチャンスを賭けることにしました。そこにも多くの待機者がいたため、今度も無理かなと諦めかけていたところ、待機リストのかなりの人が翌日の便に切り替えたようで、幸いにもようやく最後の数席に滑り込ませてもらいました。これで何とか招待先に迷惑をかけずに済むという思いでホッとしました。このような経験は今回が初めてで、何がおこるか分からないので、これからの招待講演では余裕をもって出かけるべきであることを痛切に感じました。


このようなハプニングがあったものの、13日の午前8時にはJFK国際空港に到着し、そのままWhite Plainsまで約1時間タクシーを飛ばし、何とか自分の講演には間に合いました。The Crowne Plazaというホテルが会場にもなっていたので、部屋でシャワーを浴びて、ちょっとだけ休息をとって、2時間の講演を無事終えました。講演内容はいつもの「Skeletal Anchorage System (SAS)」で、システム開発の背景、診断法、治療の進め方、ミニプレート埋入手術、メカニクスなどについて話した後、術後5年以上経過した症例を11例提示しました。SASを知らない参加者も多かったようで、熱心にメモをとりながら私の講演を聴いてくれました。とりわけ術後10年経過した症例提示に感銘を受けたようで、講演後に多くの人から感嘆の言葉を頂戴しました。そして、その日の最後に招待講演者全員が壇上に上がってパネルディスカションがありました。会場からの質問の多くは、実際にインプラント矯正に主体的に関わってきたイタリアのDr.Maino(図3)と私に向けられました。

 

図3 Dr. Mainoの講演 

私には、コーディネーターを務めたDr.Kokichから「小臼歯を抜歯すれば簡単に治せると思える症例をなぜSASを使ってまで非抜歯治療を行う必要があるのか」という質問がありました。アメリカでは定番の質問なのですが、これに対して、私は「日本では厚労省と日本歯科医師会が8020運動というキャンペーンをしているため、健全な歯を失うことを可及的に避ける傾向があること」「抜歯をするか非抜歯にするかは選択肢であって、患者がそのriskとbenefitを考慮した上で選択すべきことで、矯正歯科医が押し付けることではない」という説明をしました。
さて、明けて13日は、御三家とも言えるDr.Zachrisson、Dr.Kokich、Dr.Sarverの講演に加えて、Dr.Mainoと私がそれぞれ1時間ずつ話をしました(図4)。

 

図4 招待講演者

御三家はいずれもTADsの有用性は認めているものの、日常臨床ではさほど多くの経験を積んでいないようで、提示された症例は比較的簡単なものばかりでした。しかし、流石にプレゼンテーション技術は見事で、聴衆をぐいっと引きつけておくスキルには大いに学ぶべきところがありました。それにしても、なぜTADs経験が少ない御三家を招待したのだろうか、ちょっと不思議でしたが、主催者側の説明は明確でした。一つは、ビッグネームを利用して多くの参加者を集めること。もう一つは、世界のオピニオンリーダーである彼らのTADsに対する意見、批判、提言を聞きたかったことにありました。主催者側の意図は見事に的中し、実際に多数の参加者があり、土曜日の午後のセッションでも(通常はかなりの人が帰ってしまう)最後まで一人も帰らなかったという盛り上がりようでした。
とりわけDr.Kokichの講演におけるTADsに関する論文レビューでの歯に衣着せぬ批評は痛烈で、我々の論文のいくつかも批判の対象(えじき)になりました。論文の内容を「Rational? Reasonable? Stable?」という三つの視点から評価するというのが彼の手法で、TADsを用いて大臼歯を圧下して下顔面高を減少させることや大臼歯の遠心移動による非抜歯治療についての疑問を訴えていました。前者については、Surgeryによる下顔面高減少後の後戻りが大きいという過去の論文(下顔面高の減少に咀嚼筋が適応しない?)を根拠に、TADsによる下顔面高減少でも同じことが言えるだろうし、圧下した大臼歯も戻るだろうという見解でした。これについては午後のパネルディスカションにおいて、「では、下顔面高および口唇離開が過大なopen biteには打つ手がないということか?」という質問をしようと思っていましたが、パネルディスカションが火災報知器の誤報騒ぎのためにドタキャンになってしまったので果たせずじまいでした。また、後者の大臼歯の遠心移動についても過去の論文を根拠に、術後安定性は低いにちがいないという個人的見解を述べていましたが、これは明らかに考察不足だと思いました。なぜならば、根拠となっている論文では、いずれも顎成長の旺盛な思春期の症例を対象としており、遠心移動に先立って智歯や第二大臼歯を抜歯しposterior crowdingの発生を予防するなどの前処置をせず、後戻りのリスクファクターを残していたからです。我々が成人を対象とし、遠心移動に先立って必ず智歯あるいは第二大臼歯を抜歯しているのとは大違いだからです。これも、パネルディスカッションで取り上げてみようと思っていましたが、残念ながらできませんでした。しかし、私にとって、このような批判はもとより大歓迎です。とても刺激的で、次の研究や講演のヒントになるからです。遠路遥々、ニューヨークまで来た甲斐があったと言うものです。
13日の私の講演は「A New Approach to using SAS –Surgery First-」 というタイトルで行いました。これまでの伝統的な外科的矯正では、最初に術前矯正を行ってから顎矯正手術を行うという手順でしたが、下顎前突では術前矯正のdecompensationに伴って反対咬合と顔貌が悪化し、かつ治療期間が長びくという欠点がありました。Surgery Firstでは文字通り最初に手術を行うことから、主訴でもある顔貌の改善が早い段階でなされることになり、かつ総治療期間もこれまでのところ平均11ヵ月と劇的に短縮されるようになりました。極めてpatient orientedな方法です。この方法のポイントは、術中に埋入した顎間固定用チタンプレートを絶対的な固定源として術後矯正に応用することによって歯列単位のコントロールが可能になったことと、顎骨の手術後に骨代謝が変化して歯の移動速度が速まるという特性を利用したことにあります。世界では誰も行っていない治療法であることから、Dr.ZachrissonやDr.Kokichをはじめ多くの先生方から賞賛を受けました。レッドソックスのダイスケ(アメリカ人がみんなダイスケを知っているのには驚きました)の言葉を借りれば、Surgery Firstへの自信が確信に変ったというところでしょうか。また、ボストン大学のDr.Gianellyが会場の外ですれ違った際に、「お前がやっている仕事は素晴らしい、それにお前の英語がうまいのは感心した」とぼそっとコメントを述べていたのには、半分お世辞であるにせよ正直嬉しく思いました。でも、この程度の英語でお褒めの言葉をいただくということは、日本人の英語ベタは世界の常識であることを改めて思い知らされました。
セミナーが開けて、13日の夜は、New-Conn Orthodontic Foundation主催によるディナーが会場近くのステーキ・レストランで行われました。私は、BSEという文字が脳裏をちらっとかすめたものの、ステーキ・レストランでサーモンを食べることもないだろうと思い、ステーキを注文しました。予期したように革靴大の肉塊が出てきました(図5)。

 

図5 アメリカンステーキ 

まさに肉塊としか言いようがありません。味は最高であったものの、とても食べきれるものではなく、半分残さざるを得ませんでした。デザートのチーズケーキもステーキの大きさに比例して巨大で、これも半分しか食べられませんでした。腹も身の内と思うようでは、もうお終いかなとちょっと悲しくもありました。それにしても、アメリカ人のジョーク好きは異常です。食事の途中からジョーク合戦が始まり、次々と入れ替わり立ち替わり、ジョークの嵐でしたが、私には何が面白いのかさっぱり分からず、むしろ彼らが腹を抱えて笑う様を見て笑うという疲れる時間を過ごしました。これからは、英語のジョークを2〜3発仕込んでから出かけるようにしようと決心した次第です。外人ではDr.Zachrissonが孤軍奮闘。英語ベタのフランス人が外交官が集まった宴会であいさつした際に、Happinessと言ったつもりが、皆にはPenisとしか聞こえなかったという下ネタでした。
帰途は、朝の4時過ぎにWhite PlainsのホテルからJFK空港まで立派なリムジンで送ってもらい、飛行機のキャンセルもなく、往きと比べればあまりにも順調な帰りの旅でした。しかし、いつものことながら、ロスから成田への機内食(幕の内弁当)の味付けはひどかった。どうやらコスト削減のために、日本人が関与していないケータリングサービスにやらせているためらしい。帰路の機内ではもう二度と日本食をオーダーするもんかと心に誓いました。

投稿者 菅原準二 : 08:37 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月01日

第4報:アングル矯正歯科学会の年次例会に出席

The Edward H. Angle Society of Orthodotists、すなわちアングル矯正歯科学会は、近代歯科矯正学の父と呼ばれているE.H.Angleにちなんで設立された学会です。East, Midwest, North Atlantic, Northern California, Northwest, Southern California, Southwest という7つの支部に分かれており、企画運営はそれぞれの支部が独自に行っています。2年に1度、全体の集会があります。 

アングル矯正歯科学会の場合、通常の学会と異なり誰でも自由に会員になることができるわけではありません。会員資格は、支部ごとに定められた審査基準に合格した者だけに与えられています。ちなみに、私が所属しているNorth Atlantic Componentでは、1)正会員2名の推薦、2)例会での研究発表、3)例会での症例報告が必要で、正会員による審査を経て正会員になることができます。正会員になった後も、3年に1度は例会での発表が義務づけられています。私は、Prof. Ravindra NandaとProf.Charls J. Burstoneの推薦を得て、2003年ラスベガス例会にゲストでの参加を許され,翌2004年アムステルダムでの例会で正会員になりました。支部によっては、外国人(アメリカ人以外)の加入を厳しく制限しているところもあるようですが、North Atlantic Componentの場合には、at largeとして20名の外国人が正会員として受け入れられており、日本人は私を含めて6名です。
さて、今年の例会は、アイルランドのNewmarcket-on-Fergusという町にある古城を改造したDromoland Castleというホテルで行われました(図1、2)。

 

図1 Dromoland Castle Hotel                      図2 ホテル内ティールーム

成田からロンドン経由で、Shanonという空港で降り、そこからタクシーで約20分のところでした。18ホールのゴルフ場を含む広大な敷地内に蒼然とたたずむ城のたたずまいは、いかにも歴史を感じさせるアイルランドならではの風景でした。部屋も広く、設備はRitz-Carlton並みの豪華さでしたが、アングル矯正歯科学会の特別割引により、一泊209ユーロで宿泊することができました(それでも高い)。アイルランドの伝統的朝食(図3)もいただきましたが、アメリカン・ブレックファーストの原型になっているせいなのか、あまりかわり映えはしませんでした。ちょっとがっかり。

 

図3 伝統的アイルランド朝食        図4 ミーティング風景


会員による講演は29日と31日に行われました(図4)。45分の持ち時間での発表でしたが、それぞれ一家言を持つ矯正歯科医だけあって、視点や発想がユニークでした。その中でオクラホマ大学を退職したばかりのDr. Ram Nandaによる「My 50 Years in Orthodontics」と題する講演は、とても感銘深いものでした。とりわけ、1950年代にインドからアメリカに渡り、大変な苦労をされて地位を築かれたという話は、アメリカンドリームを地で行くサクセスストーリーにも聞こえましたが、現在の矯正歯科が必然的にこうなったのではなく、彼のような真摯な先人たちの努力によって作られたものであることを強く認識させられました。と同時に、現在を生きる私たちが現在を享受するだけでなく、進行形で歴史を作り、よりよい医療を提供するために次世代につなぐという意識をもてというメッセージをいただいたような気がしました。このような話を聴く機会が得られたのはアングル矯正歯科学会ならではのことでした。
30日は参加者全員で近郊へバスツアーを行いました。見所は、リアス式海岸のモラーの断崖(図5)でしたが、周囲には樹木が一切無く、とにかく荒涼とした風景が延々と続いておりました。その日の天候は晴れであったからまだしも、もし曇天や雨だったら相当に陰鬱な雰囲気になっていたことでしょう。

 

       図5 モラーの断崖

帰途にホテルからShannon空港に向かおうとした時に、偶然Prof. Burstoneのタクシーに同乗することになり、話の中で彼はこの4月で79歳になることをしりました。何と私よりも20歳も年上。にもかかわらず眼と話に力があるし、今なお世界各地で講演し続けている気力と体力は大したものです。タクシーを降りてチエックインカウンターに向かう時も、二つの大きなトランクを一人で引っ張って行きました。体力の秘訣を聞いたところ、週4回は5 kmのジョギングを続けているとのこと。まさに継続は力なりです。
ところで、Prof. BurstoneがShannon空港から向かった先は、パリのOlivierに招かれて、私も1月に行った継続教育での一日講演でした。何たる偶然。

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2007年02月23日

第3報:ある再治療例の治療を終えて(1)

◆再治療とは
「再治療学」というテーマは、ここ数年の私の関心事の一つで、昨年10月に横浜で開催された第34回日本臨床矯正歯科医会大会において「再治療症例から見えてきたこと -確実で安全な矯正治療を目指して-」というタイトルで特別講演を行いました。再治療の定義は「マルチブラケット装置を用いて永久歯列の全体的な咬合構成を図ったにもかかわらず、満足な治療結果が得られなかった場合や、治療後に何らかの要因で不正状態が再発してしまった場合に、患者あるいは術者側の希望に基づいて、再びマルチブラケット装置による本格的治療を行うこと」(2006菅原)です。再治療という言葉は少し和らげた表現で、実際は失敗症例のリカバリー治療を意味しています。

 

再治療症例に認められる一般的な特徴は、すでに小臼歯が抜歯されているにもかかわらず、叢生、上顎前突、反対咬合、開咬、交叉咬合などの咬合異常が残存あるいは再発した状態であり、改善が極めて困難な場合が多いことです。従来、このような症例はいわゆる「クローゼット・ケース」として扱われ、正式に論議の対象になることは稀でした。しかし、SASの開発によって、これまでの伝統的治療法ではおよそ不可能と思われていたような再治療症例の問題解決(リカバリー)が可能になり、十分な患者満足度を得ることができるようになったことが「再治療学」の動機の一つになっています。 では、なぜ「再治療学」が重要なのでしょうか? それは、端的に言えば、成功例の理由を探ることは容易ではないものの、再治療例(失敗例)の原因については比較的容易に特定することができるからです。そして、失敗原因を特定し、不適切な治療への警鐘を鳴らし、失敗の再発を防ぐことによって、治療の質を保証し、確実で安全な標準治療を求めることが可能になるからです。しかし、再治療学の目的には、施術者である歯科医師個人の責任を追及し、糾弾することは含まれておりません。

◆ある再治療例
さて、今日、ある再治療例のブラケット装置を外し、動的治療を終了しました。この方を仮にAさんとしておきましょう。Aさんは30歳過ぎの成人女性です。再治療症例には悲惨な物語(narrative)を伴っていることが少なくないのですが、Aさんの場合のnarrativeは以下のようなものでした。 Aさんは、関東地方の○市に在住中に、かかりつけ歯科医から矯正治療を勧められ、○○歯科クリニックを紹介されました。同医院において、上顎左右第一小臼歯と下顎左右第二小臼歯を抜歯後、マルチブラケット装置による治療が始まりました。しかし、約5年間治療を続けましたが終了には至らず、夫の転勤に伴い仙台市に転居。○○歯科クリニックからは、転医先として△大学病院を紹介されました。しかし、新患担当医の「乳児がいらっしゃるので、通院に便利な開業矯正歯科で治療を継続されてはいかがでしょうか?」との助言を受け入れて、仙台市内で開業している □矯正歯科クリニックの紹介を受けました。その後、□ 医が○○ 医のこれまでの治療内容を批判めいた発言をしたとのことで、○○医と □ 医との間でトラブルが生じてしまいました。そこで、元主治医の○○ 医の提案に従って、今度は私のセカンドオピニオンを求めて来院されました。Aさんは、地元の●矯正歯科医の意見(サードオピニオン)も参考にして、最終的に、私のもとで診療を受けることを希望されました。そして、それまで装着していたマルチブラケット装置を撤去して、再治療のための検査を行いました。

 

図1 再治療開始前の咬合状態

図1はその時の咬合状態です。客観的に見て、5年間マルチブラケット治療を受けたという状態とは思えませんでした。Aさんのお話しでは、真面目に毎月通院されたとのことです。過蓋咬合、重度のスピー彎曲、II級咬合、抜歯スペース残存など、本質的な問題点がほとんど改善されていませんでした。加えて重度のgummy smile(微笑んだときに歯茎まで見える)、小下顎症、short faceなどの骨格系にかかわる症候が認められました。私は、5年経っても治療目標が達成されなかった最大の要因は、前医がこの骨格系の問題点を治療対象にしなかったことにあるのではないかと推察しました。つまり、骨格系の問題点を見逃したか、あるいは軽視したかは分かりませんが、重度の骨格性不正咬合を歯の移動だけで補償的に改善しようとしたことが最大の要因であるように思われました。

いずれにせよ、すでに小臼歯を4本失って上下顎切歯とも過度に舌側傾斜しており、伝統的な矯正治療法では対応できないことは明白でした。そこで、検査資料をもとに熟考した上で、第1治療選択肢として外科的矯正治療を提案しました。まず、上顎にはLe Fort I型骨切り術を適用し、さらに上顎骨片を前歯部と臼歯部の2つのセグメントに分け、前歯部セグメントを抜歯スペースを閉じるように後上方に移動すること。そして、下顎には下顎枝矢状分割法を施して、歯列の含まれている遠位骨片を近心移動(advancement)し、重度のスピー彎曲は下顎前歯の圧下によって、下顎抜歯スペースは下顎大臼歯の近心移動によって対応しようという計画です。また、重度の歯周炎(特に臼歯部の骨吸収が進行)を伴っていたことから、外科的矯正治療を始める前に、専門医による歯周治療が必要であることを伝えました。

当初Aさんは、顎骨手術と聞いてビックリしていましたが、治療計画の論理性・予知性・迅速性を良く理解され、最終的には受け入れていただけました。

図2 治療経過(左から手術後1カ月、4カ月、7カ月経過時)

図2は治療経過を示しています。約6ヵ月間の歯周治療の後にマルチブラケット装置を装着し、直ちに顎骨手術(Two-jaw surgery)を適用しました。手術後約1ヵ月経過した時点から術後矯正治療を開始しました。上下顎切歯を圧下し、上下顎臼歯を近心移動することが主な治療目標でした。顎骨への外科的侵襲後に歯の移動速度が早まるという”Wilckodontics” http://www.wilckodontics.com/ の概念を応用し、術後矯正治療は約10ヵ月で終了しました。手術を含めて総治療期間は約11ヵ月でした。

 

図3 再治療終了時の状態 

図3はブラケット装置撤去直後の状態を表しています。治療前に設定した治療目標をほぼ100%達成することができました。Aさんにも十分満足いただける結果が得られました。また、Aさんにとって不幸中の幸いだったことは、前医から治療費の一部(60万円)が返還されたことでした。

◆患者さん心得
この再治療事例から一般論として以下のようなことが言えます。すなわち、評価手段を持ち合わせていない患者さんにとって、自分の担当となる矯正歯科医の診断能力やスキルを知ることは決して容易ではないことです。よって、事前の情報収集がとても重要になります。あらかじめ、口コミ情報やネット情報などによって2〜3の医院や病院に候補に絞り、実際に初診相談を受けることによって、最終的に自分が最も納得できる方針を提示してくれた医療機関を選択することをお勧めします。矯正歯科診療は比較的高額な自費診療であることから、それをみすみす無駄にすることは極力避けなければなりません。そのためには診療に入る前の初診相談料を決して惜しむべきではありません。セカンドオピニオン、時にはサードオピニオンを得ておくことがとても大事です。矯正診療費の高低だけで決めることは最も危険です。矯正歯科医のスキルや医療倫理を向上させることもさることながら、患者さんが信頼できる矯正歯科医に出会うための努力をすることが再治療(失敗)を避けるための近道だと私は思っています。
(今回の報告および写真掲載については、Aさんの事前承諾を得ております)

投稿者 菅原準二 : 23:12 | コメント (1) | トラックバック

2007年02月11日

第2報:退官記念感謝会

昨年12月31日付けで私が東北大学を辞めたという話は先にしましたが、後輩の有志が中心になって呼びかけを行い、2月11日に私の退官記念感謝会を開催してくれました。会場は勝山館(しょうざんかん)。私は出席者が約180名を数えたことにまず驚きました。事務局からは呼びたい人を全部呼んで構わないからと言われて名簿を渡したものの、連休の中日でもあり、出席者はそれほど多くはないだろうと思っておりました。嬉しかったですね。

柴山光由さんの司会で、午後6時に開宴しました。大井龍司先生(宮城県立こども病院院長)、吉田直人先生(元宮城県歯科医師会会長)、仁平義明先生(東北大学大学院文学研究科教授)から、それぞれ心温まる祝辞を頂戴しました。つづいて渡辺剛先生(東北大学名誉教授)の音頭による乾杯が行われました(図1)。

 

図1 乾杯 

渡辺先生とは学友会バドミントン部OBとしておつきあいいただいておりますが、自ら不良老人と豪語しているだけあって、軽妙洒脱なお話や、歯に衣着せぬ教育・学問界の現状批判を展開され、会場の喝采を浴びておりました。失うものも恐れるものがないというのは一種の清々しさを感じさせるものなのですね。流石でした。
宴会は次第にたけなわになり、会場のあちこちで話し合いの輪ができあがって行きました。私は、大学時代は他業種の人とのおつきあいも多かったので、歯科関係者以外にも多くの出席者がありました。そのため「あれっ、なぜあなたがここにいるの?」とか「菅原先生とどういうご関係?」とか言う声が各所から聞こえてきました。前述の渡辺先生の言葉を借りれば、今宵は菅原マフィアの集会のような様相を呈していました。
途中、顎顔面外科の小枝先生が率いるフラメンコチームの飛び入りがあり、宴は益々盛り上がり、多くの方からスピーチを頂戴したにもかかわらず、マイクを通したその声がほとんど聞き取れない状態でした。私は、すべてのテーブルに周り、ご挨拶を申し上げようと努力しましたが、いくつかのテーブルを残してしまいました。大変申し訳ないことをしました(図2)。

 

図2 小枝先生らによるフラメンコ 


最後に、私の挨拶が回ってきました。あくまでも自然体で気負わずにと心して壇上に昇りました。席次表を見たある人が「まるで生前葬のようだな」とつぶやいたのをちゃっかりキーワードの一つに使わせてもらいました。いや本当に冗談ではなく、私はこれで自分の葬儀は家族葬で済むなと思いました。そして、私のファーストステージでのご厚誼に対して皆さんに御礼を述べることができたのはとても良かった。なにせ、死んでからでは口がきけないわけですから。
もう一つのキーワードは在原業平の「ついに行く道とはかねて知りしかど、昨日今日とは思わざりしを」という辞世の句でした。実感ですね。大学にいる時には、いつかは大学を辞める時が来るのだろうなとは漠然と思ってはいましたが、現実にそれは今だとは思ってもいなかった訳ですから、ぴったり重なります。実はこの句との出会いにはエピソードがあります。10年ほど前までさかのぼらなければなりません。シアトルを訪れた時のことです。シアトルのウオターフロントにPikeplace Marketという大きな市場があります。その入り口の前の歩道にたたずんで、何気なく路上を見つめていたとき、英語で書かれた小さな金属プレートが埋め込まれているのを見つけました。よく見みると、英語の詩でした。さらによく見ると、詠み人としてNarihira Ariwaraと名前が書いてありました。そして、肝心の句はと言いますと、実は当時は英語で覚えていたのですが、残念ながら忘れました。でも、どこかで聞いたような詩だなと思っていたら、高校時代に古文で学んだその句だったのです。(5月にアメリカ矯正歯科学会に出席のためにシアトルに行くので、写真に撮ってきます)そして、出席者の方々をいくつかのジャンルに分けさせていただいて、そのジャンルごとに生前、いや大学時代お世話をいただいたことに対してお礼を述べさせていただきました。これで思い残すことがなく、あの世、いやセカンドステージに進むことができそうです。ありがとうございました。それから、沢山の花束を頂戴しまして、ありがとうございました(図3)。

図3 花束贈呈 

投稿者 菅原準二 : 19:59 | コメント (0) | トラックバック