2009年12月16日
第21報 第8回アジア・インプラント矯正カンファレンス(AIOC)の開催 (2009年9月9~10日)
インプラント矯正という用語は、10年ほど前に私が定義したものであるが、各種インプラントを絶対的な固定源として利用する矯正治療法を意味する。
最近では、TAD (Temporary anchorage device)という用語も使われているが、内容的には大同小異でほぼ同じ意味と考えて良い。現在主流を占めているのはスクリュータイプ(ミニスクリュー、ミニインプラント、マイクロインプラント)とプレートタイプ(ミニプレート)であるが、いずれも21世紀になってから日本や韓国など東アジアを起点として世界に拡がった画期的な治療法だ。その推進役を担ってきたのがAIOCだが、このカンファレンスは、2000年にシカゴで開催された第100回アメリカ矯正歯科学会記念大会(AAO)で講演に招かれた私とProf. Young Chel Park(韓国)が発起人になり、Dr. Eric Liou(台湾)を加えて、日本、韓国、台湾の持ち回りで毎年開催することにしたのが始まりだ。AIOCは今年で第8回目を迎えたが、昨年ソウルで第7回AIOC と第1回WIOC(世界インプラント矯正カンファレンス)が併催されたが、来年からはAIOCを発展的に解消し、WIOCに完全移行することになっている。
さて、第8回AIOCであるが、私が大会長になって、仙台で開催することになった。長坂浩先生に事務局長を引き受けてもらい、東北大学OBの佐伯修一先生、御代田浩伸先生、鈴木裕樹先生に事務局入りしていただき、少数精鋭で本年1月から本格的に準備活動に入った。限られた予算で、海外からの講演者の招待をどうするかなど、難問が多々あったが、多くの方々の支援を受けて何とか開催に漕ぎ着けることができた。
まず、大会前夜に講演者やモデレーターを対象にしたレセプションを、仙台銀座の「Beer TARU」を貸し切りで行った。30人定員の店に50人以上もの外国人が集まり、外の路地まではみ出し、英語でワイワイガヤガヤと雑談が始まったものだから、普段あまりにぎわうことのない仙台銀座がにわかに国際村のようになって、通行人もびっくり。
明けてカンファレンス初日の9日は内外合わせて13題の講演があり、活発な討論がなされた。言語はすべて英語で一切通訳なしで行ったものの、不慣れなはずの日本人も堂々として講演しており、とても誇らしく感じた。夜は、仙台国際ホテルでGala dinnerを催した。外国人に日本の料理を存分に楽しんでいただこうと、ホテルの中村善二シェフには特別の計らいをしていただいた。また、アトラクションとして津軽三味線、雀踊り、仙台フラメンコ(顎顔面外科の小枝聡子先生のご好意による)などを用意した。いずれも楽しんでもらえたが、とくに参加型の雀踊りが大好評だった。
二日目の10日は、12題の講演があり、前日と同様に充実した内容であった。この二日間の講演内容は総じて先端的で、AIOCを始めた頃と比べるとすでに隔世の感がある。写真3は講演者およびモデレーターの集合写真であるが、最新の情報を提供してくれたすべての講演者と、実りある討論を導き出してくれたすべてのモデレーターに感謝。
そして、仙台におけるAIOC最後のイベントは、温泉ツアー。仙台近郊には秋保や作並といった有名な温泉地があるが、今回は夕方から秋保温泉・ホテル佐勘への日帰りツアーを企画した。仙台牛のしゃぶしゃぶを堪能した後に、ゆっくりとお湯につかってリラックスしてもらおうという目論見だ。
日本人や韓国人はともかく、欧米人に温泉はどうかとも思ったが、とてもエンジョイしてくれたので、安心した。この写真はその時のものであるが、まさに裸のつきあいをしたことになり、忘れ得ぬ思い出になった。
投稿者 菅原準二 : 09:02 | コメント (0) | トラックバック
2009年12月09日
第20報 ソウルでのSurgery Firstセミナー(2009年7月19日)
顎変形症に対する外科的矯正は、主に顎骨の外科手術を担う口腔外科医と歯列矯正を担当する矯正歯科医とのチーム医療で行われてきた。その治療の進め方は、術前矯正を施して上・下顎歯列の形態を整えた後に、顎矯正手術を施し、さらに術後矯正で仕上げを行うのが一般的だ。このように矯正治療を先行させる進め方をOrthodontics First(OF)と呼ぶとすれば、OFにはほぼ半世紀の歴史があり、確実な成績を収めることができる方法として世界的に定着している。しかし、一方では、①顎変形改善の時期が遅れる、②最初に手術の時期が決められない、③術前矯正によって前歯の関係と口元の形が悪化する、④治療期間が長い(2年〜3年)などの問題点が指摘されてきたものの、それを改める術がなく、患者に我慢を強いるしかなかった。
これらOFの問題点を克服する革新的な治療法がSurgery First (SF)だ。SFは、文字通り最初に顎矯正手術を行い、後で矯正治療を施すという、これまでとは逆の手順で進められる。治療期間が短い(約1年)、最初に顎変形が改善される、手術時期が自由に選べるなど、前述したOFの欠点を解消し、患者利益が著しく増大した方法だ。私が知る限り、公的な国際会議の場でSFという治療法を発表したのは仙台チーム(東北大学病院顎顔面外科+SAS矯正歯科センター)が最初で、国際学会誌に報告したのも仙台チームが最初だ。世界に目を向ければ、他にはほぼ同時期に開始したとされる韓国のソウルチームによるSurgery First Orthognathic Approach(SFOA: http://www.asfoa.org/ )がある。しかし、最初に顎矯正手術を行うという点では同じであるものの、その内容は似て非なるものである。
仙台チームとソウルチームの最も大きな違いは、治療ゴールの設定に対する考え方だ。仙台チームでは、顎骨の問題点は外科手術で、歯列の問題は矯正治療で改善するという立場を取っているが、ソウルチームでは、顎骨の問題だけでなく、歯列の問題もできるだけ外科手術でカバーするという考え方に基づいている。すなわち、仙台チームでは口腔外科医と矯正歯科医がイコールパートナーとして連携しているのに対して、ソウルチームでは、形成外科医(口腔外科医ではない)が主導して、矯正歯科医がフォローするという連携の仕方だ。
今回の一日セミナーは、そのソウルチームのやり方に常々疑問を抱いていた韓国の矯正歯科医や口腔外科医が、仙台チームのSFを知りたいとのことでソウル大学の協力を得て企画された。
会場はソウル大学歯学部の大講堂であったが、講演は私と長坂浩先生(東北大学顎顔面外科)とがそれぞれの専門領域に分担して行った。午前9時から午後5時までの長丁場であったが、途中で立見が出るほどの盛況ぶりで、SFに対する関心の高さをうかがい知ることができた。講演では、診断や治療ゴールの設定法などSFの根幹をなす内容から始まり、多数の治験例の提示まで、詳しく解説したことから、参加者は仙台チームの臨床理念や治療技術を理解し、ソウルチームのSFとの違いを十分に認識してくれたようだ。
左の写真はセミナー後の集合写真であるが、梨花女子大学のMyung-Rae Kim学長、ソウル大学のTae-Woo Kim教授、チョンナム大学のHyeon-Shik Hwang教授など、韓国の矯正歯科界や口腔外科界の重鎮の顔も見える。
また、こちらの写真は、川村仁教授(東北大学)と私とが共著で出版した「現代外科的矯正治療の理論と実際」(東京臨床出版)の韓国語翻訳版が発売されたので、その記念サイン会風景だ。韓国美人を前に、緊張で手が震えた(笑)。
投稿者 菅原準二 : 11:34 | コメント (0) | トラックバック
2009年12月04日
第19報 外科的矯正セミナー(2009年6月6~7日)
シンセス株式会社主催の「Orthognathic Surgery Seminar in Tohoku 2009」が、Prof. W.H. Bell (USA) とProf. J.E. Van Sickels (USA) をゲストスピーカーに迎え、日本顎変形症学会の翌日から二日間にわたって開催された。日本側の講師は高木多加志先生(東京歯科大学)、山口芳功先生(草津総合病院)、川村仁先生(東北大学)、長坂浩先生(東北大学)と私であった。
本セミナーは、主に若手口腔外科医を対象にしていたが、外科的矯正治療の歴史に始まり、最新の治療法に至るまで、講義はコンパクトにまとまっており、かつマネキンを用いた手術法のハンズオン実習も組み込まれていたことから、受講者には好評で、昨年に引き続き開催されたものである。
今回のセミナーの目玉は、何と言っても御年82歳になられたProf. Bellの話を直に聞けることであった。Prof. Bellは、東北大学の川村教授の師匠で、我々が外科的矯正に関わり始めた頃は、それこそ神のような存在であった。当時、Prof. Bellが書いた顎矯正手術の教科書は、それこそバイブルのように世界中で読まれていたのである。その彼と、一緒の場で講演をすることなど夢にも思わなかったことであるが、とても感慨深いものがあった。
さらに、私の講演を聴いてくれた彼から、お褒めのコメントを頂戴したが、これも実に光栄なことであった。82歳になって、一人でアメリカから仙台まで講演に訪れるという気力と体力には脱帽である。果たして、自分が80歳を越えてかようなことができるかどうか、全く自信がない。また、ここに私のロールモデルを見いだした貴重な二日間であった。
投稿者 菅原準二 : 13:49 | コメント (0) | トラックバック
第18報 第19回日本顎変形症学会シンポジウムでの講演(2009年6月4日)
矯正治療における難しい問題の一つとして、例えば小学生の時点で下顎が極端に大きかったり、逆に小さ過ぎたり、あるいは明らかな非対称(側方偏位)を伴っている患者さんにどのように対応したら良いのかということがある。すなわち、顎骨の大きさや位置に著しい不調和があり、外科手術(顎矯正手術)の適応になる成人患者さんのことを顎変形症(保険用語)と総称しているが、その子ども版の問題です。実は、その対応法は医療施設によってまちまちで、コンセンサスが得られておりません。
去る6月4〜5日に日本顎変形症学会(主管:東北大学顎顔面外科、大会長:川村仁先生)が仙台国際センターで開催されましたが、その問題に関するシンポジウム「成長期の重度骨格性不正咬合への対応」が行われた。話題提供者は、鹿児島チーム(黒江和斗先生、吉田雅司先生)、東北大学チーム(私、川村仁先生)、東京医科歯科大学チーム(鈴木聖一先生、黒原一人先生)、昭和大学チーム(槇宏太郎先生、代田達夫先生)で、それぞれの考え方と実際の対応法が紹介された。
その結果、対応法は概ね二つに分かれた。すなわち、一方は、子どもの社会心理面や口腔機能に配慮して、顎の不調和が悪化することを少しでも抑制あるいは改善しようという目的で、顎成長をコントロールする治療(顎整形治療)や歯の移動を積極的に行うという考え方。もう一方は、顎整形治療の効果の限界を認識し、治療の確実性を優先して、顎成長が終息するまで成長観察を行った後に治療を開始するという考え方である。
私たちのチームは、例外を除いて、後者の立場をとっているが、その主な理由は以下のとおりである。
1) 現時点で、極めて重度の骨格性不正咬合に対する最も信頼できる治療選択肢は、顎成長終了後に適用する外科的矯正である。
2) 成長期においては、大きな下顎骨の顎成長を確実にコントロールする有効な手立てがなく、敢えて治療を行った場合、期待した効果が得られずに、治療が長期化し、かつ中途半端な結果に陥る危険性が高い。
3) 第一期治療(小学生の頃の初期治療)が患者自身の意思決定に基づいて行われるものでないことから、術者が良かれと思って施術した結果が、必ずしも患者満足に結びつかないこともあり得る。
4) 高校生以降まで問題点の改善を遅らせたとしても、口腔成育支援を継続的に行うことによって、社会心理学的問題が発生する可能性は低い。
5) 高校生以降になれば、患者自身が自律的に治療ゴールや治療オプションを選択することができる。
6) 高校生以降の治療では、顎成長という主たる再発要因がなくなることから、予知的な治療が可能になり、咬合の長期安定性が得られる。
最後の総合討論の部は、会場からの質問に答える形式で行われた。ところが、我々のチームに向けられた質問から判断すると、どうも「成長している間は、すべての不正咬合の矯正治療は行わない」と誤解された可能性が高いと思われた。それは、このシンポジウムのテーマが成長期の重度不正咬合を対象にしていたことから、それが前提になっていると思い、敢えてその主語を省いた形で話をしたからだろう。我々の場合、子どもの不正咬合で第1期治療の対象になるのは約90%で、積極的な治療を行わずに成長観察の対象になるのは残りの約10%であることを、ここで改めて述べておきたい。
投稿者 菅原準二 : 12:56 | コメント (0) | トラックバック
2009年05月04日
第17報 第109回アメリカ矯正歯科学会(AAO)での講演
メキシコ発の豚インフルエンザ(swine flu)で海外旅行すら危ぶまれる状況の中で、今年の第109回アメリカ矯正歯科学会(AAO)が5月1日から5日にわたってアメリカ東海岸のボストンで開催された。日本からの参加予定者の一部は豚インフルエンザの危険を避けるためにキャンセルされた方もおられたようで、日本人参加者はとりわけ少ないという印象を受けた。私は2日に日本を発ってワシントンDC経由で現地入りした。日本のメディアの豚インフルエンザ報道が連日トップニュースであったため、気分的には戦地にでも赴くような心境であったが、旅行客や現地の人々はどちらかと言えば無関心で、話題にも上らず、マスクをしていたのは日本人だけという異様な光景で、日本人だけがやけに浮いていた。加えて、アメリカからの帰国者全員に10日間の監視を義務づけるというニュースを聞くに及び、両国間のあまりのギャップに、アメリカ人が無頓着なのか、日本人が神経質過ぎるのか、思わず考え込んでしまった。
ともかく、大会は予定通り開催された。今年は、私の師匠の一人である Prof. Ravi NandaによるJV Mershon Memorial Lectureが行われたことが話題の一つであった。40年に及ぶ彼の研究生活を振り返り、これからの矯正歯科を考えるという内容であったが、巨大な会場で立ち見が出るほどの数の聴衆をぐいぐいと引き込んで行く講演は見事であった。
その夜は、私が留学していたコネチカット大学の同門会に出席した。今年はProf. Ravi Nandaが授賞したということもあり、これまでの倍以上の130名もの同門生が出席し、大変な盛り上がりようであった。私が留学していた当時に院生であったDr. Rohit SachidevaやDr. Wayne Hickoryなど、懐かしい面々と再会の喜びを分かち合うことができた。と同時に彼らがそれぞれの立場で成功を収め、デジタル矯正歯科とも言うべき独創的なビジネスを展開していることに、大いに刺激を受けた。
4日の午後、私は「”Surgery First” Surgical Orthodontics」と題した45分間の講演を行った。インプラント矯正(TADs)をテーマにしたセッションの3番手に組み込まれていたが、トップバッターのDr. Mainoの講演時には昼食直後であったせいか出席者が少く、いささか気になっていたが、その後次第に増え,私の時にはほぼ会場全体が埋まっていたので一安心。講演する時には出席者数次第で話の乗りが違ってくるので、出席者数は気分的に重要な要素である。私は、顎変形症治療の将来モデルとしてのSurgery First がいかに多くの患者利益をもたらすかについて話をしたが、その意図は十分に理解していただいたようであった。
最終日の5日は、いくつかの講演を聴いた後に、大雨の中をBoston Fine Art Museumを訪れ、一流の美術品をしばし堪能した。ここを訪れたのは27年ぶりであったが、この間に世の中はすっかり変わってしまったにも関わらず,ここではすべてが当時のままのたたずまいを残していたことに深い安堵感を覚えた。本来であれば日本で保存されるべき浮世絵もこの美術館に所蔵されているが、貴重な文化遺産を完璧に保存し、後世に伝えて行こうという努力がなされている限り、母国で保存されるべきという考えに固執する必要はないのであろう。
5日の夜は、日本から来ていた友人達と連れ立ってUnion Oyster Houseというボストンでは老舗のシーフードレストランで食事をした。かつては度々訪れたことのあるお店であったが、古いたたずまいはおろか、メニューも以前といささかも変わらず、まるで20年以上前にタイムスリップしたかのような気持ちになった。今回も定番のロブスターをいただいた。これでも最も小さなサイズであったが、添え物も多く、食べ切れるものではなかった。
5月7日に往路と同様に、ワシントンDC経由で成田空港に到着したが、検疫官が数名乗り込んできて、乗客全員にマスクをさせ、サーモグラフで発熱の有無をチェックし、約1時間をかけて一人一人の健康状態をチェックしていた。アメリカ国内では空港でもどこでも注意を促されることもなかったことから、日本の検疫体制の徹底ぶりが際立っていた。人口密度の高い日本としては致し方のない措置であろう。でも、隣に座っていたアメリカのご夫人には理解できないらしく、「アメリカ人はこうやって待たされるのには耐えられないのよ」と文句を言っていた。
