2007年04月30日
3.不正咬合の見方
他の診療科と同様に,矯正歯科においても分類が重要である.症状を分類することが診断や治療方針の基盤になっているからだ.
矯正歯科の主な診療対象は「不正咬合(ふせいこうごう)」である.これは,「上下の歯列をかみ合わせた時の位置関係にズレがある状態」を意味する.かみ合わせのズレは多様であり,それぞれ治療の進め方や難しさも異なることから,まず「不正咬合」の分類から知っていただきたい.
矯正歯科医は,患者さんを前にした時,「はい,口を開けて」とは言わない.まず,口を閉じた状態で,顔の形や口元のバランスを観察することから始める.その患者さんの「不正咬合」が歯並びだけの問題なのか,それとも歯列を支える顎骨の不調和によるものなのかを見きわめるためである.顔面骨格は三次元構造体であるが,顔の形を側面と正面に分けて評価すると理解しやすい.「不正咬合」の診断や治療にかかわる重要な情報は,側面顔(横顔)により多く含まれると思うので,ここでは側面顔について述べる.
細部にまでこだわれば,人の側面顔は十人十色で分けようがないが,大まかには前後および上下的バランスによって9つのタイプに分類される.すなわち,顎骨の前後的バランスによって「下顎が突出している(下顎前突),普通,後退している(下顎後退)」の3タイプに分けられる.さらに,顔の上下的バランスによっても,「顔が長い(長顔),普通,短い(短顔)」の三タイプに分けられる.それら3×3の組み合わせによって9タイプの側面顔が成立するわけである.
患者さんの側面顔がどのタイプに分類されるかが明らかになれば,口の中を見なくとも,かみ合わせの状態は想像がつく.前後的バランスが「下顎前突」タイプでは「反対咬合(受け口)」に,「下顎後退」タイプでは「上顎前突咬合(出っ歯)」になる確率が高くなるし,上下的バランスが「長顔」タイプでは「開咬(奥歯をかみあわせても上下の前歯が重ならず隙間があく)」を,逆に「短顔」タイプでは「過蓋咬合(上下の前歯が過度に深く重なる)」を示す傾向が強まるからだ.
このような見方にしたがえば,「正常咬合(良いかみ合わせ)」の多くが,顔面骨格の前後的および上下的バランスがともに普通タイプかそれに近いという条件下で成立することも納得できるであろう.つまり,「不正咬合」の見方は,かみ合わせのズレだけにとらわれるのではなく,歯列を支える顔面骨格のバランスに問題がないかどうかを見きわめることがポイントだ.
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2007年04月29日
4.放置すると
矯正歯科の必要性を理解するためには,不正咬合を放置した場合,将来どのような問題が生じるのかを知ることが早道である.このことに関連して,最近の学会で興味ある研究報告があった.
厚生省と日本歯科医師会が推進している「8020(ハチマルニイマル)運動」についてはご存じの方も多いと思うが,「80歳まで長生きして,健全な20本の歯を残そう」というキャンペーンである.東京都文京区歯科医師会で8020達成者(52名)のかみ合わせを調査したところ,達成者のすべてが顔面骨格のバランスに問題がなく,ほとんどが正常咬合(良いかみ合わせ)で,反対咬合は皆無であったことが明らかになった.
全国的な調査ではなく,対象者の口腔衛生知識が現在とは異なる世代であることなどから,これを普遍的な事実として受けとめるのは早計であるにしても,注目に値する.長期にわたって歯を健全に維持するためには,顔面骨格のバランスに問題がなく,かつ正常咬合を有していることが必要条件であることを暗示しているからである.
正常咬合であることによって,一本一本の歯に与えられた本来の機能を発揮することができるし,そしゃく時の食物の流れや唾液による自浄効果が高いことも明らかである.もちろん,歯ブラシで口の中を清潔にすることも容易である.また,顔面骨格のバランスが整っていることが,そしゃくや発音のために下顎を動かす筋肉(そしゃく筋)や,歯列を内外側から支える舌と表情をつくる筋肉(表情筋)の健全な働きと深く関連している.歯の長期維持のためには,システム全体が正しく機能していることが重要だ.
一方,不正咬合を放置した場合,特定の歯に必要以上の負担を強いることになるし,食物や唾液の流れにも乱れが生じて自浄作用が妨げられ,歯や口の清掃もままならないことが多い.さらに,歯並びやかみ合わせに乱れがあるために虫歯や歯周病などの誘因にもなるし,わずらった場合に正しく治療することも難しくなる.さらに,顔面骨格のバランスに著しい不調和をともなっていれば,そしゃく筋,舌,表情筋に正常な働きを求めることは無理な注文である.不正咬合の程度,虫歯や歯周病に対する感受性にもよるが,歯を駄目にしてしまうリスクが高いと考えられる.
「歯が駄目でも義歯(入れ歯)があるじゃないか」という言葉をよく耳にする.本質的には同じ意味なのに,「足が駄目でも義足があるじゃないか」とは誰も言わない.新時代に向かって,このあたりの健康意識やパラダイムを変えて行く必要があろう.
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2007年04月28日
5.見かけ
「不正咬合を放置しておくと,歯が長もちしませんよ」とか,「そしゃくや発音などが正常に機能しませんよ」と言われて矯正治療を受けようと思う人は,実は少ない.不正咬合は,突然そうなるのではなく,時間をかけてゆっくりでき上がるため,そしゃくや発音にかかわる障害なども周囲の組織器官によってそれなりに補償され,不具合を不具合と感じることがないからだ.つまり,実感がないのである.
患者さんを矯正治療に駆り立てるのは,多くは「容貌」すなわち「見かけ」の問題だ.阪神大震災において,入れ歯を忘れて飛び出し,壊れた家に戻った人の多くは,前歯の入れ歯を忘れた人であったという話しを耳にした.奥歯の入れ歯がなくとも食べることは何とかできても,前歯がないという格好悪さには耐えられなかったということらしい.現代の日本人は極限状況においても,「見かけ」を大切にしているのである.その良し悪しを問題にしているのではない.病いに対する人々の思いや受けとめ方は,時代,文化,民族,性,世代などによって異なり,かつ,医療サイドがいくらあがいても,簡単に操作できるものではないからだ.
「眼はその人の心の状態を語り,歯はその人の生活の状態を語る.人はまったく見かけによる」とは,作家・柳美里の言葉であるが,そういう時代に私たちは生きているようだ.そして,このことを裏付けるように,東北大学文学部・仁平義明教授は,次のような報告をしている.大学生に「日本社会で,容貌など身体的外見によって,社会的に有利になったり不利になったりすることがあると思いますか」という質問をしたところ,「大いに」や「ある程度」という肯定的な回答が男性では約93%,女性では約97%に達していたそうだ.昔は,男性は「見かけ」を気にしないことが美徳とされていたが,現代社会では男女を問わず「見かけ」を気にするし,それで差別を受けたくないと感じているようだ.しかし,そのような社会的風潮が,最近問題になっている「醜形恐怖症」(容貌に極端に自信を失い,それを気にするあまり社会生活にも支障をきたしてしまう精神障害)を生み出していることには注意が必要だ.
新時代の矯正歯科には,このような背景を十分に理解した上で,患者さんの気にする「見かけ」の問題を解決し,同時に「歯の長期維持」のためのゴールを達成することが求められている.幸いなことに,矯正歯科では「見かけ」を良くして,歯の長期維持や口の機能向上を図ることは,見事に両立する.
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2007年04月27日
6.子供の治療(前)
「子供の矯正治療」の開始時期や方法をめぐって,一部論争が続いており,必ずしも共通認識が得られているわけではないが,ここでは,基本的な考え方について述べる.
「子供の矯正治療」に関する第1のキーワードは「顔の成長」である.人の顔は,皮膚や筋肉などの軟らかい組織と,骨や歯などの硬い組織によって構成されている.矯正歯科においては,顔面骨格を構成する上で主役を演じている顎骨(がっこつ)がとくに重要だ.顎骨には,頭蓋骨にしっかりと結合している上顎骨(上アゴ),そして,筋肉などによってつり上げられていて様々な機能運動をつかさどる下顎骨(下アゴ)がある.これらは,身長などの全身成長と同様に,思春期に著しい成長をとげて大人の顔に近づく.しかし,問題は上顎骨と下顎骨の成長の仕方が異なることと,これらの成長に著しい個体差があることだ.一般的に,上顎骨は思春期のピーク(身長が最も伸びる頃,女子で11〜12歳,男子で13〜14歳)を過ぎると成長がほぼ止まるのに対して,下顎骨はその後も成長を続け,女子で16〜17歳,男子で18〜19歳でほぼ終了する.しかし,患者さんの中には早熟傾向(成長のピークが早い)や逆に晩熟傾向(成長のピークが遅い)を示す子もいるし,顎骨が異常な成長を示す子もいるなど個体差が著しい.不正咬合が顎骨のバランスに左右されることはすでに述べたが,「子供の矯正治療」の難しい点は,このように個体差の著しい「顔の成長」を分析し,予測しながら治療を進めなければいけないところにある.一旦良くなったと思った不正咬合が,その後の顎骨の成長で再発することが珍しくないからだ.
第2のキーワードは「長期管理」である.矯正治療の結果は,厳密には「顔の成長」が止まるまで分からないというのは,矯正歯科の常識だ.そもそも顎骨のバランスに問題のある患者さんはもとより,そうでない場合でも,成長に伴って不測の事態が発生することが少なくないからだ.例えば,第二大臼歯が思わぬ方向に出てきたり,智歯(第三大臼歯)がせっかく整った歯列をくずし,口やアゴの機能にまで悪影響を及ぼすこともあるからだ.そのようなことを考慮し,私たちは,すべての患者さんと20歳までお付き合いをし,20歳の時点で,健全なかみ合わせを生涯を通して維持できる環境が備わるように対応したいと考えている.患者さんおよび親御さんとの信頼関係に基づいた長いお付き合いのことを「長期管理」と呼んでいる.
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2007年04月26日
7.子供の治療(後)
第3のキーワードは「治療時期の分割」でである.特に,下顎前突のように骨格に問題があるような場合には,思春期前に行う「第1期治療」と思春期後の「第2期治療」に分割して行うことが重要だ.これは,①著しい個体差があり,かつ予測が難しい「顔の成長」に確実に対応する,②患者さんの最小の負担(時間的,経済的,身体的)で,最大の効果を得る,③患者さんのライフステージを考慮して,長期維持が可能な健全なかみ合わせを育てる,という考え方に基づいている.
「第1期治療」の開始時期は,一般的には上下前歯の永久歯が四本ずつ出そろう頃(7〜9歳ごろ)が適切だ.その目的は,不正咬合の進行を抑え,その成長段階での健常像にできるだけ近づけておくことである.治療期間は1年前後を目安にするが,遅くとも中学生になる前に終了することが望ましい.「第1期治療」の注意点は,患者さん自らの意志によって始める治療ではなく,ほとんどが親の動機づけでなされることだ.したがって,「長期管理」によって最終目標を達成するためには,治療に飽きたり,嫌気がさすことがないように注意が必要だ.
「第1期治療」後は,再発を防ぐ処置を施しながら,数カ月の通院間隔で口の衛生状態や成長の様子を見るための「観察」を続ける.そうすることによって良いかみ合わせが長く維持されることが理想的である.私自身は,中学生の時期はできるだけ矯正治療を避け,「観察」にあてたいと考えている.一般的に,中学生は「ムカつく」「キレる」という言葉に象徴されるように,思春期に入って自我に目覚め,かつ高校受験という重圧のもとに置かれる大変な年代である.当然,治療への協力度も低下する.加えて,食べ盛りであるため,頻繁な摂食によって口の衛生状態が悪化するなど,矯正治療を行うにはリスクが高すぎるからだ.しかし,不正咬合のタイプによってはこの時期の旺盛なアゴの成長をうまく利用したい場合もあるので,実際には専門医によるケースバイケースの最終判断が必要だ.
一方,「観察」の間に不正咬合が再発したり,新たな問題が派生する場合もある.「第2期治療」は,そのような患者さんに対する仕上げの治療に相当する.開始時期は「顔の成長」の見きわめがつき,自分で治療の意義や必要性を十分に理解できるようになる高校生以降が望ましいが,不正咬合のタイプや成長などの個体差によって多少変動する.「第1期治療」と同様に1〜2年の治療期間が必要となる.この「第2期治療」が終われば,機能的なかみ合わせや整った口元などの条件を兼ね備えた20歳のゴールは目の前だ.
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2007年04月25日
8.成人矯正
前回は,不正咬合を子供のうちに治療することが理想的であると述べた.しかし,親の健康意識や経済的および時間的な問題などによって,適切なタイミングで治療を受けることができない方も沢山いる.あるいは,大人になってから不正咬合が気になり始めるという方も少なくない.そのような患者さんのために,次善の策として「大人の矯正治療」すなわち「成人矯正」が行われている.
かつて,矯正治療は子供の頃にしかできないものとあきらめられていたが,診断や技術が飛躍的に進歩した現在では,歯やそれを支える組織(歯周組織)が丈夫であれば例え高齢者であっても治療が可能になった.
「成人矯正」を「子供の矯正治療」と比較してみると,利点としては,①「顔の成長」が終了している分,治療後の予測が立てやすいこと,②患者さん自身が治療の動機を持っていることが挙げられる.一方,欠点は,①歯周病や顎関節症(がくかんせつしょう)など他の疾患を伴っていることが多い,②治療が大がかりになる,③歯が動きにくい,④矯正装置の外見に対するこだわりが強いことなどである.このように「成人矯正」には利点よりも欠点が多く,治療上さまざまな配慮が必要であるが,その目的は,口元のバランスを整えて健全なかみ合わせを獲得し,患者さんにできるだけ質の高い生活をおくっていただくことであり,「子供の矯正治療」のそれと変わらない.確かに,理想的な矯正治療の時期を逸してはいるものの,それでも患者さんが受けるメリットは大きい.
虫歯や歯周病が進行して歯を失い始め,さらにかみ合わせやアゴの機能にも著しい変調をきたして入れ歯を作ることもできず,ものが満足にかめなくなった状態を「咬合崩壊」と呼ぶ.一般の歯科医院では治療が不可能で,歯学部附属病院・矯正歯科に紹介されてくる「咬合崩壊」の患者さんが増えている.30〜50歳代の方がほとんどだが,これまではどこで治療してもらえるのか分からず,適切な対応を受けていなかった患者さんたちである.診察して驚くことは,このような「咬合崩壊」の背景に,子供の頃からの不正咬合が関与している場合が実に多いことだ.不正咬合の終末像とも言えそうだ.「8020」達成者の中に不正咬合がほとんど含まれていなかったことにも通じるものがある.
しかし,不幸にしてひどい「咬合崩壊」をきたした患者さんに対しては,歯学部附属病院では,複数の診療科の専門医やスタッフによる「チーム医療」という診療体制で臨んでいるのであまり心配には及ばない.
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2007年04月24日
9.外科的矯正
不正咬合の中で,歯や歯列を支える顎骨(がっこつ)の形やバランスに問題があり,しかもその程度が特にひどい場合を「顎変形症(がくへんけいしょう)」と呼ぶ.その代表例には,下顎が著しく大きな下顎前突や,下顎が著しく小さな上顎前突がある.いずれも通常の矯正治療だけで改善することは極めて難しい.その様な患者さんの顎骨のゆがみや大きさを外科手術によって修正し,同時に矯正治療によって歯並びとかみ合わせを整える治療法のことを「外科的矯正」と言う.例外を除き,顔の成長が終了した成人に対して行われる.成長による再発を避けるためだ.また,顎骨の中や周囲には重要な神経や血管が走っていることと,顔に傷を残さないために口の中ですべての操作が行われることから,手術は特別のトレーニングを積んだ口腔(こうくう)外科医が担当する.そして,全体の診療は口腔外科医と矯正歯科医(専門医)との「チーム医療」で進められる.
顎骨の手術と言われても,今一つぴんと来ないかも知れないが,「外科的矯正」は以下のような手順で進められる.①検査結果に基づいて治療のゴール(設計図)を作成する.②ゴールにしたがって上下の歯並び(歯列のかたち)を矯正する.③特殊な手術器具によって顎骨を切り離す.④切り離した骨をゴールの位置まで移動して金属プレートなどで固定する.⑤安静にして骨が自然につながるのを待つ.⑥リハビリテーションを行って,そしゃく筋や舌などを新しいかみ合わせに順応させる.⑦かみ合わせの細部調整を行い,口の機能に問題がないことを確認して矯正装置を外す.⑧再発を防止する処置を施し,かみ合わせの管理を定期的に続ける.
手術時間は「顎変形症」のタイプによっても異なるが,下顎だけであれば1〜2時間,上・下顎骨の同時手術でも3〜4時間で終了する.全身麻酔で行われるため,手術に伴う痛みを感じることはない.また,低血圧麻酔を用いているため出血量も少なく,輸血が必要になることは極めてまれである.約3週間の入院を必要とするが,患者さんにとっての最大の忍耐は,手術後の約2ヶ月間は普通の食事がとれないことだ.
「顎変形症」の場合,容貌の問題はともかく,そしゃくや発音などに著しい機能障害を伴うことと,歯を失ったときに入れ歯などでの修復が非常に難しいことから,「咬合崩壊」に陥ってしまうリスクが特に高い.そのため,平成2年から「顎変形症」の「外科的矯正」に健康保険の給付が認められるようになった.
「外科的矯正」は,現代の矯正歯科では欠かすことのできない治療法になっている.
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2007年04月23日
10.反対咬合の治療
不正咬合の矯正治療について,少し具体的に説明してみたい.まず最初に取り上げるのは「反対咬合」である.これは俗に受け口と呼ばれ,文字どおり上下の前歯が通常とは反対にかんでいる状態を表している.程度がひどくなれば,前歯で咬み切れない,発音がうまくできない,唇が閉じにくいなどの機能的な障害を伴うようになる.
反対咬合の治療に際しては,顎骨の不調和の有無を見極めることが重要だ.それによって治療の難しさや進め方が異なるからである.
まず,顎骨に問題がない場合は,治療は比較的容易である.前歯が生える時に何らかのきっかけで方向が変わり,反対咬合になった可能性が高いと考えられるからだ.このタイプに属する乳歯の反対咬合は,前歯の交換期にかなりの割合で自然に改善する.治療法としては,主にマルチブラケット装置(個々の歯の表面に接着剤でつける金属製やセラミックス製の数㍉角の小さな装置)という口の中の装置だけを用い,形状記憶合金などでできたワイヤーの弾性を利用して上の前歯を外側に動かす方法が一般的だ.しかも,短期間で改善し,再発の危険性も低い.子供の場合には,思春期前の第1期治療だけで良い結果が得られ,思春期後の第2期治療を省略することも少なくない.
一方,上顎が小さい,下顎が大きいなど,顎骨に問題がある反対咬合は「下顎前突」とも呼ばれ,その程度がひどくなるにつれて治療の難しさも増す.遺伝的傾向が認められることが多く,乳歯から永久歯に代わる時に自然に良くなることはまずない.子供の場合には,第1期治療において,口の中だけではなく外につける装置も併用して,顎骨のバランスを整えながら反対咬合を改善する方法がとられる.もし,その後の成長観察期に再発した場合には,第2期治療においてマルチブラケット装置を用いて細部にわたる修正が行われる.なお,患者さんには敬遠されているが,第1期治療で用いられる口の外につける装置としては,上顎の成長を促すための前方けん引装置(上顎を前に引き出すようなゴムの力を伝えるキャッチャー・マスク様の装置)が効果的である.下顎骨の成長を抑えるために用いられていたチンキャップ装置(下顎を後退させるようなゴムの力を伝える帽子型の装置)は,以前ほどは使われなくなってきている.また,顎骨の不調和が極めて著しく,「顎変形症」の域に達している子供に対しては,あえて第1期治療は行わず,顎骨の成長が停止するのを見届けた上で,外科手術によって上顎を前に出したり,下顎を後退させるなどの「外科的矯正」を行うのが確実な方法だ.
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2007年04月22日
11.上顎前突の治療
「上顎前突」とは俗に言う出っ歯のことで,上の前歯が突出したかみ合わせのことを意味する.異常が一目で分かる反対咬合と異なり,上顎前突は前歯の突出の程度によって正常咬合と区別するため,程度がひどくなければ患者さん自身が異常を認識することは難しい.
上顎前突は,①顎骨には異常がない,②上顎骨が大きい,③下顎骨が小さい- という三つのタイプに大別されるが,それぞれのタイプによって治療の進め方が異なる.
まず①の場合,子供の患者さんに対してはヘッドギアと呼ばれる顎外固定装置(首や頭の後部を支えにして上顎の大きゅう歯を後方移動させるようなゴムの力を伝える装置)を短期間(半年前後)用いた後,マルチブラケット装置によって上の歯を奥歯から順に後退させる第1期治療が行われる.その後の安定性はおおむね良好で,第2期治療を省略することも少なくない.一方,成長が止まった患者さんに対しては,そのような方法では効果が望めないことから,通常は,犬歯の後ろにある左右の小きゅう歯を抜いて隙間を設けた後に,マルチブラケット装置を用いてその隙間に向かって前歯を後退させる治療が行われる.
次に,②上顎骨が大きいタイプの場合,子供については①のタイプと同様にヘッドギアを最初に用いる.しかし,その目的は大臼歯の後方移動だけではなく,上顎骨全体の成長を抑制することであり,比較的長期間(1〜2年)を要する.そして,顎骨のバランスが整ったところでマルチブラケット装置を用いてかみ合わせの調整がなされる.その後,成長などに伴って後戻りを生じることもあることから,第2期治療を考えておく必要がある.成人に対しては,通常は①のタイプと同様の治療が行われるが,程度が著しい場合には「外科的矯正」によって上顎骨全体あるいは前歯部を一塊として後退させる必要がある.
最後は,③の下顎骨が小さく,相対的に上顎前突を示すタイプである.子供の場合,第1期治療で機能的矯正装置(下顎骨の成長を促すためのプラスチックとワイヤーで作られた装置)という取り外し可能な装置が用いられることが多い.それ以後は②のタイプと同様の処置になるが,下顎骨の残りの成長を有効に利用するために,第2期治療を早めに開始することもある.また,年齢に関係なく,下顎骨が著しく小さな場合には,舌根が沈んで上気道が閉ざされ「睡眠時無呼吸症候群」という睡眠障害を伴っていることもある.その様な患者さんに対しては,「外科的矯正」だけではなく,最近では「仮骨延長法」(下顎骨を切り離し,一定の期間をおいてから骨片を機械的に牽引延長する方法)によって下顎骨を大きくする技術も導入されている.
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2007年04月21日
12.叢生の治療
「叢生(そうせい)」とは,歯が草むらのように入り乱れて並んでいる状態を表現した専門用語で,俗に乱杭歯(らんぐいば)とも呼ばれ,八重歯もその一種である.これまで述べてきた反対咬合や上顎前突など,上下の顎骨の不調和による不正咬合とは異なり,「叢生」は顎骨と歯の大きさの不調和から生じる歯列の不正である.「叢生」の問題点は,程度がひどい場合には,虫歯や歯周病を誘発するばかりでなく,一旦それらを患うと治療に支障をきたし,進行を食い止めることが難しくなることだ.「叢生」の治療法について述べる前に,その背景に少し触れておきたい.
人類の祖先が地球上に現れてから4〜5百万年,現代人につながるホモ・サピエンスが出現してからでも15万年が経過した.そもそも猿人や原人の顎骨には,32本の永久歯が整然と並ぶゆとりがあったが,現代人においてはその様な人は少なく,第三大臼歯(親不知歯)を除く28本すら並びきらなくなっている.軟食や高カロリー食など現代食文化の影響を受けて,顎骨が小さくなっているとも,歯が大きくなっているとも言われている.事実,私たちの学校歯科健診データでも小学生の30%,中学生の40%,高校生の50%に「叢生」が認められている.
「叢生」の治療法は,大きく分けて二つしかない.「叢生」を三人がけのソファーに四人も五人も座っている状態に例えれば,ソファー(顎骨の歯槽部)を大きくして全員が座れるようにするか,あるいは座る人数(歯の数)を制限するかのどちらかである.前者については,拡大装置(ワイヤーの弾性やネジなどを利用して歯列の幅や奥行きを拡げる装置)を用いて,第三大臼歯を除く全ての永久歯を収容できるようにする方法が代表的である.後者には,いずれかの永久歯(上下の第一小きゅう歯が最も多い)を抜いて,残りの永久歯をマルチブラケット装置によって整然と並べる方法がとられる.どちらを選択するかは,「叢生」のひどさばかりでなく,顎骨や口元のバランス,患者さんの年齢-などを考慮した専門的な判断に委ねられる.
「叢生」の第1期治療(思春期前)では,拡大装置などを用いて歯槽部を大きくする治療法を優先し,永久歯を抜くことはできるだけ避けるようにしている.一方,第2期治療や成人矯正においては,一般的には抜歯の可能性が高くなる.しかし,前にも触れた「仮骨延長法」などの先端技術を利用することによって,成人の顎骨であっても大きくすることが可能になりつつあることから,将来は抜歯をしない「叢生」の治療が当たり前になるかも知れない.
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2007年04月20日
13.顔面非対称の治療
厳密に言えば,顔が完全に対称形をしている人はいない.ここで言う「顔面非対称」とは,下顎骨が明らかに左右どちらかに曲がっていたり,あごの筋肉の大きさが左右で著しく異なっていて,顔が非対称形を呈している患者さんのことを指している.口の中では,下顎骨のゆがみや偏りに一致して,下顎の歯列全体が左右どちらかにずれたかみ合わせをしているのが一般的な特徴である.しかも,これらの症状は反対咬合や上顎前突など,他の不正咬合と複合している場合が多い.「顔面非対称」においては,見かけ上の問題もさることながら,非対称度が強くなるにつれて「顎関節機能障害」(顎関節症の一種で,口の開け閉めの際に痛みがあったり,ガクガクとかボキボキという雑音がする,口が開きにくい- などが主症状)を伴う頻度が高いことが最近の臨床研究で明らかになっている.
私たちの学校歯科健診データでは,軽度のものまで含めれば実に約20%もの児童生徒に「顔面非対称」が認められている.「顔面非対称」をここであえて取り上げた理由は,発症頻度が高いこと,顎関節機能障害との関連性が疑われること,見過ごすと治療が大がかりになる可能性があること - などによる.
「顔面非対称」の原因は様々で,①先天性異常,②出産時の外傷,③後天的な異常成長,④片側でのそしゃく癖,⑤かみ合わせの不調,⑥顎関節機能障害- などが挙げられている.「顔面非対称」の治療は,これらの原因を考慮して決定する必要がある.まず,最初の①②③が原因の場合,下顎骨の左右の大きさや形が異なるだけでなく,上顎骨や頭の骨にまで変形が及んでいることが多い.子供の頃に成長が遅れている部分を大きくする試みがなされているが,未だ一般的ではない.現在のところ,顎骨の成長が終息するのを見届けてから「外科的矯正」によって改善するのがより確実な方法だ.
一方,残りの④⑤⑥が原因と思われる「顔面非対称」は発症頻度が比較的高く,かつ早期に対応することで抑制および予防することができるタイプでもある.これらの原因の中で,最近注目されているのが,成長期に発症した片側性の顎関節機能障害が「顔面非対称」を引き起こすのではないかという学説である.下顎骨の成長は下顎頭(下顎骨の後上端に相当し顎関節の一部を構成)の軟骨部で最も旺盛である.下顎頭を保護するクッションのような役目を果たしている関節円板が,何らかの原因でずれたり損傷を受けて顎関節機能障害をきたすと,片側の下顎頭の成長だけが劣ってしまう危険性があるからだ.
早期に対応するためには,学校歯科健診でのスクリーニングが重要である.
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2007年04月19日
14.学校歯科健診
平成七年から,学校保健法の一部改正に伴い,従来の検査項目に「歯列・咬合(こうごう)・顎(がく)関節」が新たに加わった.
日本学校歯科医会の指針では,「歯列・咬合」の健診にあたっては,将来,口の機能に重大な支障をもたらす恐れのある不正咬合をスクリーニングすることとし,かつ,それが矯正治療の勧告や誘導にならないように注意すべきであるとしている.
学校歯科医は,このような指針に従って健診をしているが,将来,重大な支障をきたすか否かの判断には,高度の専門的能力が要求される場合もあるため,健診結果にバラツキがあることが指摘されている.このような問題の解決を支援するために,日本矯正歯科学会・学校歯科保健委員会で協議を重ねている.
また,保護者には不正咬合と虫歯の健診結果が一緒に知らされている場合が多いので,不正咬合の健診結果も治療勧告のように思われている可能性がある.では,それがなぜ治療勧告に結びつかないように注意すべきなのだろうか.これには「顎変形症」および「口唇裂・口蓋裂」以外の矯正治療に健康保険が適用されていないという事情が配慮されているようだ.矯正治療への健康保険の給付については,現在,厚生省および学識経験者を中心に研究組織を構成して検討がなされている.
さて,今年も学校歯科健診の季節がやってきたが,その結果,歯並びやかみ合わせに“異常あり”という知らせを受けた場合,どうすべきかについて少し述べておきたい.
最も大事なことは,“異常あり”とされたかみ合わせには,どのような問題点が含まれ,どのようなリスクが考えられるのかについて詳しく知ることである.そのためには,①かかりつけ歯科医(一般歯科医)の診察を受け,必要があれば矯正専門医や歯学部付属病院を紹介してもらう.②特定のかかりつけ歯科医がいなければ,歯学部付属病院で診察を受け,必要に応じて矯正専門医を紹介してもらう.③直接矯正専門医の診察を受ける- などの選択肢がある.ただし,矯正専門医不在の地域では,一般歯科医が矯正専門医と連携して診療にあたっている場合もあるので,かかりつけ歯科医に相談してみるとよい.また,医療機関によって初診料や相談料に違いがあるので,事前に確認しておくことが必要だ.
さらに,矯正治療を受ける際の注意点として,治療方針や治療費などについて詳しく説明を受け,十分に納得した上で治療を受けることが大切である.昨今ではインフォームド・コンセントやセカンド・オピニオン(他医の意見)を求めることは「患者さんの権利」として認められており,誰にも遠慮はいらない.
なお,日本矯正歯科学会ではホームページを開設し,全国の認定医名などを公開しているので,参考にされるとよい.
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2007年04月18日
15.口腔育成プロジェクト
シリーズの最終回にあたり,東北大学歯学部付属病院において新時代に向けた臨床教育モデルとしてスタートした「口腔育成プロジェクト」を紹介しておきたい.
前にも触れたが,厚生省と日本歯科医師会が推進している「8020(ハチマルニイマル)運動」は,80歳で20本の歯を残そうというキャンペーンである.そこには,「一生自分の健康な歯で食べることができるようにしよう」という歯科保健活動の本来的な意味が込められている.しかし,現在は51歳で20本,80歳でわずか4本しか残っておらず,目標値にはほど遠い状況だ.
「年をとったら歯は抜け落ちるもの」「歯科とは虫歯などの疾患にかかってから世話になるところ」と思っている人は,国民の中ではまだ多数派を占めているであろう.8020を意義あるものと真剣に考えるのであれば,これらの国民的認識を変える必要がある.と言っても,これはさほど大げさなことではない.現代歯科学の世界水準では,虫歯や歯周病を予防して一生自分の歯で食べることは絵空事ではなく,実現可能なものになっていることを知っていただくだけでよいからだ.以下に述べる「口腔育成プロジェクト」は,まさにこのような認識を原点にすえ,さらに歯の長期維持を妨げる恐れのある不正咬合への対応をも組み入れた総合戦略である.
「口腔育成」とは,1997年に東北大学で生まれた用語で,「子供たちの口腔システム全体を対象に,その健全な機能とかたちを生涯にわたって維持することができるように,予防を主体とした長期管理を行い,同時に子供たちの口や歯に対する保健意識をはぐくむこと」を意味している.具体的には,次のような目標を設けている.①乳歯列から管理を開始し,20歳までに虫歯や歯周病がなく,健全な歯列やかみ合わせを備えたゴールを達成する.②生活環境をも視野に入れた管理を行う.③治療中心ではなく,ケアをより重視した長期管理を進める.④虫歯や歯周病に対する感受性を調べ,個別に科学的予防策を施す.
これまで,子供たちの口の疾患に対しては,主に予防歯科,小児歯科,矯正歯科による独立分業制の治療や管理が行われてきた.「口腔育成」では,虫歯や不正咬合の有無に関わらず,全ての子供たちの口腔全体を健全に育成するためのチーム医療を目指し,同時に,そのような考え方と実践能力を備えた歯科医を育てることを志向している.このプロジェクトは立ち上がったばかりで,まだ実効は上げていないものの,「口腔育成」の理念に基づいてケアを受けた子供たちは,いずれ20歳になり,いずれ80歳になる.その時には8020は楽に達成されているはずである.
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2007年04月16日
第5報:21st Biennial Growth Seminarでの招待講演
ニューヨーク州とコネチカット州の矯正歯科医らによって構成されているNew-Conn Orthodontic Foundationという組織が、2年毎に42年間にわたってセミナーを主催してきました。今回は第21回セミナーになりますが、世界のトピックにもなっているインプラント矯正(TADs)が取り上げられ、「Temporary Anchorage Device and Implants in Orthodontics: When, Where, and Why Not?」というテーマで、ニューヨーク州White Plainsにおいて開催されました(図1)。招待講演者は、Dr.Anthony Gianelly、 Dr.Vincent Kokich、Dr.Giuliano Maino、Dr.David Sarver、Dr.Junji Sugawara(私)、Dr.Bjorn Zachrissonの6名でした。オペラの世界で言えばパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという三大テナーが一同に会したような豪華な顔ぶれで、この種のセミナーでは異例の400名を超える受講者が全米各地から集まるという盛況ぶりでした(図2)。
図1 リーフレット 図2 セミナー会場
私は、セミナー前日の12日に現地に入る予定で仙台を発ち、成田からロス経由でニューヨークに向かうことにしました。ユナイテッド航空890便で午前10時前にはロスに到着しましたが、乗り継ぎ便の機体到着が間に合わず、午後1時過ぎに出発の予定が2時半になっていました。その時間になって搭乗して、いざロスを出発という段になって、今度は左エンジンに故障が見つかり修理中とのアナウンスがあり、暫く座席で待機させられました。しかし、故障の修理のめどが立たず、結局午後4時過ぎになってキャンセルになってしまいました。ガックリときてしまいましたが、まあ途中で墜落するよりはましかと気持ちを切り替えにかかりましたが、ニューヨーク行きの100名以上の乗客が、それぞれ次の便の予約に走ったので、当然のことながらその日のうちに運行予定のニューヨーク行きの2便はキャンセル待ちであふれ返ってしまいました。私の講演は翌13日の昼過ぎに予定されていたので、遅くとも13日の午前中にはJFKに着いていなければならないため、何としても12日の便に乗る必要がありました。そこで、最悪のケースも考えて、空席があった13日朝7時の便を押さえた上で、12日の午後10時と11時半の待機リストに載せてもらうことにしました。と同時にWhite Plainsのホテルで待ち受けているはずの事務局に電話をして、最悪の場合は13日の午後3時到着になるので、プログラム変更の可能性についても伝えました。それからユナイテッドのラウンジで約6時間待って10時の便の空席を待っていましたが、全くだめで、11時半にラストチャンスを賭けることにしました。そこにも多くの待機者がいたため、今度も無理かなと諦めかけていたところ、待機リストのかなりの人が翌日の便に切り替えたようで、幸いにもようやく最後の数席に滑り込ませてもらいました。これで何とか招待先に迷惑をかけずに済むという思いでホッとしました。このような経験は今回が初めてで、何がおこるか分からないので、これからの招待講演では余裕をもって出かけるべきであることを痛切に感じました。
このようなハプニングがあったものの、13日の午前8時にはJFK国際空港に到着し、そのままWhite Plainsまで約1時間タクシーを飛ばし、何とか自分の講演には間に合いました。The Crowne Plazaというホテルが会場にもなっていたので、部屋でシャワーを浴びて、ちょっとだけ休息をとって、2時間の講演を無事終えました。講演内容はいつもの「Skeletal Anchorage System (SAS)」で、システム開発の背景、診断法、治療の進め方、ミニプレート埋入手術、メカニクスなどについて話した後、術後5年以上経過した症例を11例提示しました。SASを知らない参加者も多かったようで、熱心にメモをとりながら私の講演を聴いてくれました。とりわけ術後10年経過した症例提示に感銘を受けたようで、講演後に多くの人から感嘆の言葉を頂戴しました。そして、その日の最後に招待講演者全員が壇上に上がってパネルディスカションがありました。会場からの質問の多くは、実際にインプラント矯正に主体的に関わってきたイタリアのDr.Maino(図3)と私に向けられました。
図3 Dr. Mainoの講演
私には、コーディネーターを務めたDr.Kokichから「小臼歯を抜歯すれば簡単に治せると思える症例をなぜSASを使ってまで非抜歯治療を行う必要があるのか」という質問がありました。アメリカでは定番の質問なのですが、これに対して、私は「日本では厚労省と日本歯科医師会が8020運動というキャンペーンをしているため、健全な歯を失うことを可及的に避ける傾向があること」「抜歯をするか非抜歯にするかは選択肢であって、患者がそのriskとbenefitを考慮した上で選択すべきことで、矯正歯科医が押し付けることではない」という説明をしました。
さて、明けて13日は、御三家とも言えるDr.Zachrisson、Dr.Kokich、Dr.Sarverの講演に加えて、Dr.Mainoと私がそれぞれ1時間ずつ話をしました(図4)。
図4 招待講演者
御三家はいずれもTADsの有用性は認めているものの、日常臨床ではさほど多くの経験を積んでいないようで、提示された症例は比較的簡単なものばかりでした。しかし、流石にプレゼンテーション技術は見事で、聴衆をぐいっと引きつけておくスキルには大いに学ぶべきところがありました。それにしても、なぜTADs経験が少ない御三家を招待したのだろうか、ちょっと不思議でしたが、主催者側の説明は明確でした。一つは、ビッグネームを利用して多くの参加者を集めること。もう一つは、世界のオピニオンリーダーである彼らのTADsに対する意見、批判、提言を聞きたかったことにありました。主催者側の意図は見事に的中し、実際に多数の参加者があり、土曜日の午後のセッションでも(通常はかなりの人が帰ってしまう)最後まで一人も帰らなかったという盛り上がりようでした。
とりわけDr.Kokichの講演におけるTADsに関する論文レビューでの歯に衣着せぬ批評は痛烈で、我々の論文のいくつかも批判の対象(えじき)になりました。論文の内容を「Rational? Reasonable? Stable?」という三つの視点から評価するというのが彼の手法で、TADsを用いて大臼歯を圧下して下顔面高を減少させることや大臼歯の遠心移動による非抜歯治療についての疑問を訴えていました。前者については、Surgeryによる下顔面高減少後の後戻りが大きいという過去の論文(下顔面高の減少に咀嚼筋が適応しない?)を根拠に、TADsによる下顔面高減少でも同じことが言えるだろうし、圧下した大臼歯も戻るだろうという見解でした。これについては午後のパネルディスカションにおいて、「では、下顔面高および口唇離開が過大なopen biteには打つ手がないということか?」という質問をしようと思っていましたが、パネルディスカションが火災報知器の誤報騒ぎのためにドタキャンになってしまったので果たせずじまいでした。また、後者の大臼歯の遠心移動についても過去の論文を根拠に、術後安定性は低いにちがいないという個人的見解を述べていましたが、これは明らかに考察不足だと思いました。なぜならば、根拠となっている論文では、いずれも顎成長の旺盛な思春期の症例を対象としており、遠心移動に先立って智歯や第二大臼歯を抜歯しposterior crowdingの発生を予防するなどの前処置をせず、後戻りのリスクファクターを残していたからです。我々が成人を対象とし、遠心移動に先立って必ず智歯あるいは第二大臼歯を抜歯しているのとは大違いだからです。これも、パネルディスカッションで取り上げてみようと思っていましたが、残念ながらできませんでした。しかし、私にとって、このような批判はもとより大歓迎です。とても刺激的で、次の研究や講演のヒントになるからです。遠路遥々、ニューヨークまで来た甲斐があったと言うものです。
13日の私の講演は「A New Approach to using SAS –Surgery First-」 というタイトルで行いました。これまでの伝統的な外科的矯正では、最初に術前矯正を行ってから顎矯正手術を行うという手順でしたが、下顎前突では術前矯正のdecompensationに伴って反対咬合と顔貌が悪化し、かつ治療期間が長びくという欠点がありました。Surgery Firstでは文字通り最初に手術を行うことから、主訴でもある顔貌の改善が早い段階でなされることになり、かつ総治療期間もこれまでのところ平均11ヵ月と劇的に短縮されるようになりました。極めてpatient orientedな方法です。この方法のポイントは、術中に埋入した顎間固定用チタンプレートを絶対的な固定源として術後矯正に応用することによって歯列単位のコントロールが可能になったことと、顎骨の手術後に骨代謝が変化して歯の移動速度が速まるという特性を利用したことにあります。世界では誰も行っていない治療法であることから、Dr.ZachrissonやDr.Kokichをはじめ多くの先生方から賞賛を受けました。レッドソックスのダイスケ(アメリカ人がみんなダイスケを知っているのには驚きました)の言葉を借りれば、Surgery Firstへの自信が確信に変ったというところでしょうか。また、ボストン大学のDr.Gianellyが会場の外ですれ違った際に、「お前がやっている仕事は素晴らしい、それにお前の英語がうまいのは感心した」とぼそっとコメントを述べていたのには、半分お世辞であるにせよ正直嬉しく思いました。でも、この程度の英語でお褒めの言葉をいただくということは、日本人の英語ベタは世界の常識であることを改めて思い知らされました。
セミナーが開けて、13日の夜は、New-Conn Orthodontic Foundation主催によるディナーが会場近くのステーキ・レストランで行われました。私は、BSEという文字が脳裏をちらっとかすめたものの、ステーキ・レストランでサーモンを食べることもないだろうと思い、ステーキを注文しました。予期したように革靴大の肉塊が出てきました(図5)。
図5 アメリカンステーキ
まさに肉塊としか言いようがありません。味は最高であったものの、とても食べきれるものではなく、半分残さざるを得ませんでした。デザートのチーズケーキもステーキの大きさに比例して巨大で、これも半分しか食べられませんでした。腹も身の内と思うようでは、もうお終いかなとちょっと悲しくもありました。それにしても、アメリカ人のジョーク好きは異常です。食事の途中からジョーク合戦が始まり、次々と入れ替わり立ち替わり、ジョークの嵐でしたが、私には何が面白いのかさっぱり分からず、むしろ彼らが腹を抱えて笑う様を見て笑うという疲れる時間を過ごしました。これからは、英語のジョークを2〜3発仕込んでから出かけるようにしようと決心した次第です。外人ではDr.Zachrissonが孤軍奮闘。英語ベタのフランス人が外交官が集まった宴会であいさつした際に、Happinessと言ったつもりが、皆にはPenisとしか聞こえなかったという下ネタでした。
帰途は、朝の4時過ぎにWhite PlainsのホテルからJFK空港まで立派なリムジンで送ってもらい、飛行機のキャンセルもなく、往きと比べればあまりにも順調な帰りの旅でした。しかし、いつものことながら、ロスから成田への機内食(幕の内弁当)の味付けはひどかった。どうやらコスト削減のために、日本人が関与していないケータリングサービスにやらせているためらしい。帰路の機内ではもう二度と日本食をオーダーするもんかと心に誓いました。
投稿者 sugawara : 08:37 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月01日
第4報:アングル矯正歯科学会の年次例会に出席
The Edward H. Angle Society of Orthodotists、すなわちアングル矯正歯科学会は、近代歯科矯正学の父と呼ばれているE.H.Angleにちなんで設立された学会です。East, Midwest, North Atlantic, Northern California, Northwest, Southern California, Southwest という7つの支部に分かれており、企画運営はそれぞれの支部が独自に行っています。2年に1度、全体の集会があります。
アングル矯正歯科学会の場合、通常の学会と異なり誰でも自由に会員になることができるわけではありません。会員資格は、支部ごとに定められた審査基準に合格した者だけに与えられています。ちなみに、私が所属しているNorth Atlantic Componentでは、1)正会員2名の推薦、2)例会での研究発表、3)例会での症例報告が必要で、正会員による審査を経て正会員になることができます。正会員になった後も、3年に1度は例会での発表が義務づけられています。私は、Prof. Ravindra NandaとProf.Charls J. Burstoneの推薦を得て、2003年ラスベガス例会にゲストでの参加を許され,翌2004年アムステルダムでの例会で正会員になりました。支部によっては、外国人(アメリカ人以外)の加入を厳しく制限しているところもあるようですが、North Atlantic Componentの場合には、at largeとして20名の外国人が正会員として受け入れられており、日本人は私を含めて6名です。
さて、今年の例会は、アイルランドのNewmarcket-on-Fergusという町にある古城を改造したDromoland Castleというホテルで行われました(図1、2)。
図1 Dromoland Castle Hotel 図2 ホテル内ティールーム
成田からロンドン経由で、Shanonという空港で降り、そこからタクシーで約20分のところでした。18ホールのゴルフ場を含む広大な敷地内に蒼然とたたずむ城のたたずまいは、いかにも歴史を感じさせるアイルランドならではの風景でした。部屋も広く、設備はRitz-Carlton並みの豪華さでしたが、アングル矯正歯科学会の特別割引により、一泊209ユーロで宿泊することができました(それでも高い)。アイルランドの伝統的朝食(図3)もいただきましたが、アメリカン・ブレックファーストの原型になっているせいなのか、あまりかわり映えはしませんでした。ちょっとがっかり。
図3 伝統的アイルランド朝食 図4 ミーティング風景
会員による講演は29日と31日に行われました(図4)。45分の持ち時間での発表でしたが、それぞれ一家言を持つ矯正歯科医だけあって、視点や発想がユニークでした。その中でオクラホマ大学を退職したばかりのDr. Ram Nandaによる「My 50 Years in Orthodontics」と題する講演は、とても感銘深いものでした。とりわけ、1950年代にインドからアメリカに渡り、大変な苦労をされて地位を築かれたという話は、アメリカンドリームを地で行くサクセスストーリーにも聞こえましたが、現在の矯正歯科が必然的にこうなったのではなく、彼のような真摯な先人たちの努力によって作られたものであることを強く認識させられました。と同時に、現在を生きる私たちが現在を享受するだけでなく、進行形で歴史を作り、よりよい医療を提供するために次世代につなぐという意識をもてというメッセージをいただいたような気がしました。このような話を聴く機会が得られたのはアングル矯正歯科学会ならではのことでした。
30日は参加者全員で近郊へバスツアーを行いました。見所は、リアス式海岸のモラーの断崖(図5)でしたが、周囲には樹木が一切無く、とにかく荒涼とした風景が延々と続いておりました。その日の天候は晴れであったからまだしも、もし曇天や雨だったら相当に陰鬱な雰囲気になっていたことでしょう。
図5 モラーの断崖
帰途にホテルからShannon空港に向かおうとした時に、偶然Prof. Burstoneのタクシーに同乗することになり、話の中で彼はこの4月で79歳になることをしりました。何と私よりも20歳も年上。にもかかわらず眼と話に力があるし、今なお世界各地で講演し続けている気力と体力は大したものです。タクシーを降りてチエックインカウンターに向かう時も、二つの大きなトランクを一人で引っ張って行きました。体力の秘訣を聞いたところ、週4回は5 kmのジョギングを続けているとのこと。まさに継続は力なりです。
ところで、Prof. BurstoneがShannon空港から向かった先は、パリのOlivierに招かれて、私も1月に行った継続教育での一日講演でした。何たる偶然。
