2007年02月23日
第3報:ある再治療例の治療を終えて(1)
◆再治療とは
「再治療学」というテーマは、ここ数年の私の関心事の一つで、昨年10月に横浜で開催された第34回日本臨床矯正歯科医会大会において「再治療症例から見えてきたこと -確実で安全な矯正治療を目指して-」というタイトルで特別講演を行いました。再治療の定義は「マルチブラケット装置を用いて永久歯列の全体的な咬合構成を図ったにもかかわらず、満足な治療結果が得られなかった場合や、治療後に何らかの要因で不正状態が再発してしまった場合に、患者あるいは術者側の希望に基づいて、再びマルチブラケット装置による本格的治療を行うこと」(2006菅原)です。再治療という言葉は少し和らげた表現で、実際は失敗症例のリカバリー治療を意味しています。
再治療症例に認められる一般的な特徴は、すでに小臼歯が抜歯されているにもかかわらず、叢生、上顎前突、反対咬合、開咬、交叉咬合などの咬合異常が残存あるいは再発した状態であり、改善が極めて困難な場合が多いことです。従来、このような症例はいわゆる「クローゼット・ケース」として扱われ、正式に論議の対象になることは稀でした。しかし、SASの開発によって、これまでの伝統的治療法ではおよそ不可能と思われていたような再治療症例の問題解決(リカバリー)が可能になり、十分な患者満足度を得ることができるようになったことが「再治療学」の動機の一つになっています。 では、なぜ「再治療学」が重要なのでしょうか? それは、端的に言えば、成功例の理由を探ることは容易ではないものの、再治療例(失敗例)の原因については比較的容易に特定することができるからです。そして、失敗原因を特定し、不適切な治療への警鐘を鳴らし、失敗の再発を防ぐことによって、治療の質を保証し、確実で安全な標準治療を求めることが可能になるからです。しかし、再治療学の目的には、施術者である歯科医師個人の責任を追及し、糾弾することは含まれておりません。
◆ある再治療例
さて、今日、ある再治療例のブラケット装置を外し、動的治療を終了しました。この方を仮にAさんとしておきましょう。Aさんは30歳過ぎの成人女性です。再治療症例には悲惨な物語(narrative)を伴っていることが少なくないのですが、Aさんの場合のnarrativeは以下のようなものでした。
Aさんは、関東地方の○市に在住中に、かかりつけ歯科医から矯正治療を勧められ、○○歯科クリニックを紹介されました。同医院において、上顎左右第一小臼歯と下顎左右第二小臼歯を抜歯後、マルチブラケット装置による治療が始まりました。しかし、約5年間治療を続けましたが終了には至らず、夫の転勤に伴い仙台市に転居。○○歯科クリニックからは、転医先として△大学病院を紹介されました。しかし、新患担当医の「乳児がいらっしゃるので、通院に便利な開業矯正歯科で治療を継続されてはいかがでしょうか?」との助言を受け入れて、仙台市内で開業している □矯正歯科クリニックの紹介を受けました。その後、□ 医が○○ 医のこれまでの治療内容を批判めいた発言をしたとのことで、○○医と □ 医との間でトラブルが生じてしまいました。そこで、元主治医の○○ 医の提案に従って、今度は私のセカンドオピニオンを求めて来院されました。Aさんは、地元の●矯正歯科医の意見(サードオピニオン)も参考にして、最終的に、私のもとで診療を受けることを希望されました。そして、それまで装着していたマルチブラケット装置を撤去して、再治療のための検査を行いました。
図1 再治療開始前の咬合状態
図1はその時の咬合状態です。客観的に見て、5年間マルチブラケット治療を受けたという状態とは思えませんでした。Aさんのお話しでは、真面目に毎月通院されたとのことです。過蓋咬合、重度のスピー彎曲、II級咬合、抜歯スペース残存など、本質的な問題点がほとんど改善されていませんでした。加えて重度のgummy smile(微笑んだときに歯茎まで見える)、小下顎症、short faceなどの骨格系にかかわる症候が認められました。私は、5年経っても治療目標が達成されなかった最大の要因は、前医がこの骨格系の問題点を治療対象にしなかったことにあるのではないかと推察しました。つまり、骨格系の問題点を見逃したか、あるいは軽視したかは分かりませんが、重度の骨格性不正咬合を歯の移動だけで補償的に改善しようとしたことが最大の要因であるように思われました。
いずれにせよ、すでに小臼歯を4本失って上下顎切歯とも過度に舌側傾斜しており、伝統的な矯正治療法では対応できないことは明白でした。そこで、検査資料をもとに熟考した上で、第1治療選択肢として外科的矯正治療を提案しました。まず、上顎にはLe Fort I型骨切り術を適用し、さらに上顎骨片を前歯部と臼歯部の2つのセグメントに分け、前歯部セグメントを抜歯スペースを閉じるように後上方に移動すること。そして、下顎には下顎枝矢状分割法を施して、歯列の含まれている遠位骨片を近心移動(advancement)し、重度のスピー彎曲は下顎前歯の圧下によって、下顎抜歯スペースは下顎大臼歯の近心移動によって対応しようという計画です。また、重度の歯周炎(特に臼歯部の骨吸収が進行)を伴っていたことから、外科的矯正治療を始める前に、専門医による歯周治療が必要であることを伝えました。
当初Aさんは、顎骨手術と聞いてビックリしていましたが、治療計画の論理性・予知性・迅速性を良く理解され、最終的には受け入れていただけました。
図2 治療経過(左から手術後1カ月、4カ月、7カ月経過時)
図2は治療経過を示しています。約6ヵ月間の歯周治療の後にマルチブラケット装置を装着し、直ちに顎骨手術(Two-jaw surgery)を適用しました。手術後約1ヵ月経過した時点から術後矯正治療を開始しました。上下顎切歯を圧下し、上下顎臼歯を近心移動することが主な治療目標でした。顎骨への外科的侵襲後に歯の移動速度が早まるという”Wilckodontics” http://www.wilckodontics.com/ の概念を応用し、術後矯正治療は約10ヵ月で終了しました。手術を含めて総治療期間は約11ヵ月でした。
図3 再治療終了時の状態
図3はブラケット装置撤去直後の状態を表しています。治療前に設定した治療目標をほぼ100%達成することができました。Aさんにも十分満足いただける結果が得られました。また、Aさんにとって不幸中の幸いだったことは、前医から治療費の一部(60万円)が返還されたことでした。
◆患者さん心得
この再治療事例から一般論として以下のようなことが言えます。すなわち、評価手段を持ち合わせていない患者さんにとって、自分の担当となる矯正歯科医の診断能力やスキルを知ることは決して容易ではないことです。よって、事前の情報収集がとても重要になります。あらかじめ、口コミ情報やネット情報などによって2〜3の医院や病院に候補に絞り、実際に初診相談を受けることによって、最終的に自分が最も納得できる方針を提示してくれた医療機関を選択することをお勧めします。矯正歯科診療は比較的高額な自費診療であることから、それをみすみす無駄にすることは極力避けなければなりません。そのためには診療に入る前の初診相談料を決して惜しむべきではありません。セカンドオピニオン、時にはサードオピニオンを得ておくことがとても大事です。矯正診療費の高低だけで決めることは最も危険です。矯正歯科医のスキルや医療倫理を向上させることもさることながら、患者さんが信頼できる矯正歯科医に出会うための努力をすることが再治療(失敗)を避けるための近道だと私は思っています。
(今回の報告および写真掲載については、Aさんの事前承諾を得ております)
投稿者 sugawara : 23:12 | コメント (1) | トラックバック
2007年02月11日
第2報:退官記念感謝会
昨年12月31日付けで私が東北大学を辞めたという話は先にしましたが、後輩の有志が中心になって呼びかけを行い、2月11日に私の退官記念感謝会を開催してくれました。会場は勝山館(しょうざんかん)。私は出席者が約180名を数えたことにまず驚きました。事務局からは呼びたい人を全部呼んで構わないからと言われて名簿を渡したものの、連休の中日でもあり、出席者はそれほど多くはないだろうと思っておりました。嬉しかったですね。
柴山光由さんの司会で、午後6時に開宴しました。大井龍司先生(宮城県立こども病院院長)、吉田直人先生(元宮城県歯科医師会会長)、仁平義明先生(東北大学大学院文学研究科教授)から、それぞれ心温まる祝辞を頂戴しました。つづいて渡辺剛先生(東北大学名誉教授)の音頭による乾杯が行われました(図1)。
図1 乾杯
渡辺先生とは学友会バドミントン部OBとしておつきあいいただいておりますが、自ら不良老人と豪語しているだけあって、軽妙洒脱なお話や、歯に衣着せぬ教育・学問界の現状批判を展開され、会場の喝采を浴びておりました。失うものも恐れるものがないというのは一種の清々しさを感じさせるものなのですね。流石でした。
宴会は次第にたけなわになり、会場のあちこちで話し合いの輪ができあがって行きました。私は、大学時代は他業種の人とのおつきあいも多かったので、歯科関係者以外にも多くの出席者がありました。そのため「あれっ、なぜあなたがここにいるの?」とか「菅原先生とどういうご関係?」とか言う声が各所から聞こえてきました。前述の渡辺先生の言葉を借りれば、今宵は菅原マフィアの集会のような様相を呈していました。
途中、顎顔面外科の小枝先生が率いるフラメンコチームの飛び入りがあり、宴は益々盛り上がり、多くの方からスピーチを頂戴したにもかかわらず、マイクを通したその声がほとんど聞き取れない状態でした。私は、すべてのテーブルに周り、ご挨拶を申し上げようと努力しましたが、いくつかのテーブルを残してしまいました。大変申し訳ないことをしました(図2)。
図2 小枝先生らによるフラメンコ
最後に、私の挨拶が回ってきました。あくまでも自然体で気負わずにと心して壇上に昇りました。席次表を見たある人が「まるで生前葬のようだな」とつぶやいたのをちゃっかりキーワードの一つに使わせてもらいました。いや本当に冗談ではなく、私はこれで自分の葬儀は家族葬で済むなと思いました。そして、私のファーストステージでのご厚誼に対して皆さんに御礼を述べることができたのはとても良かった。なにせ、死んでからでは口がきけないわけですから。
もう一つのキーワードは在原業平の「ついに行く道とはかねて知りしかど、昨日今日とは思わざりしを」という辞世の句でした。実感ですね。大学にいる時には、いつかは大学を辞める時が来るのだろうなとは漠然と思ってはいましたが、現実にそれは今だとは思ってもいなかった訳ですから、ぴったり重なります。実はこの句との出会いにはエピソードがあります。10年ほど前までさかのぼらなければなりません。シアトルを訪れた時のことです。シアトルのウオターフロントにPikeplace Marketという大きな市場があります。その入り口の前の歩道にたたずんで、何気なく路上を見つめていたとき、英語で書かれた小さな金属プレートが埋め込まれているのを見つけました。よく見みると、英語の詩でした。さらによく見ると、詠み人としてNarihira Ariwaraと名前が書いてありました。そして、肝心の句はと言いますと、実は当時は英語で覚えていたのですが、残念ながら忘れました。でも、どこかで聞いたような詩だなと思っていたら、高校時代に古文で学んだその句だったのです。(5月にアメリカ矯正歯科学会に出席のためにシアトルに行くので、写真に撮ってきます)そして、出席者の方々をいくつかのジャンルに分けさせていただいて、そのジャンルごとに生前、いや大学時代お世話をいただいたことに対してお礼を述べさせていただきました。これで思い残すことがなく、あの世、いやセカンドステージに進むことができそうです。ありがとうございました。それから、沢山の花束を頂戴しまして、ありがとうございました(図3)。
図3 花束贈呈
